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パーサヴィアランス:火星に降り立つ僕の夢

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殆どの人にとって人生は、億万長者や大統領になるには短すぎるが、謙虚な夢をいくつか叶えるくらいの長さはあるものだ。

もう38歳になった。この人生の半分くらいだろうか。叶った夢も、まだ叶っていない夢もある中で、学んだことがひとつある。

夢を叶えるには、忍耐が要るということだ。

明日、日本時間2021年2月19日午前5時55分頃、僕の小さな夢が火星に着陸する。「忍耐(パーサヴィアランス)」という名の夢が。

Perseverance landing
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1. 破れた夢

僕の心は小さい頃から宇宙にあった。6歳の頃、ボイジャー2号が海王星に到着した。僕が生まれる前に地球を出発し、12年かけて45億キロ彼方の最遠の惑星まで旅したのだった。ボイジャーのニュースを見逃したくなくて、その夏はテレビばかりを見て過ごした。

「もし地球がビー玉の大きさだったら、海王星は5kmも先にあるんだよ」と父が教えてくれた。幼い僕はビー玉を掌に握りながら、イマジネーションは果てしなく広い宇宙を漂った。いつかボイジャーみたいな宇宙船を作りたいと思った。

1997年、14歳の時、マーズ・パスファインダーが20年ぶりに火星に着陸した。着陸の日、テレビのニュースはアメリカのカリフォルニア州パサデナにあるNASAジェット推進研究所(JPL)のコントロール・ルームの様子を映していた。

マーズ・パスファインダーは時速26,000キロで火星の大気に突っ込み、その後わずか7分で着陸に至る。地球に電波が届くまで約10分かかるから、大気圏突入の信号が地球に届く頃にはもう、着陸に成功しているか、無残に墜落しているかのどちらかだ。この間エンジニアたちにできることは、信じて待つこと以外に何ひとつない。

この「恐怖の7分」の間、コントロール・ルームのエンジニアたちは皆、不安そうな表情でモニターを見たり、うろうろしたりしていた。たった7分なのに無限に長く感じられた。

そして着陸の成功を知らせる信号が火星から届いた瞬間、コントロール・ルームは大歓声に湧いた。いい歳をした大人が飛び跳ね、抱き合い、涙を流しながら喜んでいた。

僕のまわりの大人があんな風に喜んでいるのを見たことは、一度もなかった。

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2004年に火星ローバー・スピリットとオポチュニティが火星に着陸した時、僕は宇宙工学を学ぶ大学生になっていた。この時も「恐怖の7分」の後に吉報が届くと、テレビの向こうで大の大人が飛び跳ね、抱き合い、涙を流しながら喜んでいた。

いつか、あの中に入りたいと思った。だから僕は宇宙を目指して海を渡った。

留学先では大変な苦労をした。以前に書いたので繰り返さないが、まずは英語と異文化への適応と学業で苦しみ、そして自信を失い、夢を見失ったこともあり、それでも幸運な出会いや巡り合わせのおかげで、6年半かけてなんとか博士号を取り終えた。

そして、夢だったNASA JPLの門を叩いた。僕を面接した人の中には、昔テレビの向こうで飛び跳ねて喜んでいた人もいるかもしれなかった。

結果は、不採用だった。

僕は日本に帰り、慶應大学の助教になった。その4ヶ月後の2012年8月、キュリオシティが火星に着陸した。僕は一人、大学の食堂でパソコンを広げ、ライブストリームを見ていた。「恐怖の7分」の間、画面の向こうでは揃いのポロシャツを着たエンジニアたちが固唾を呑んでモニターを見ていた。そして着陸成功の信号が届くと喜びを爆発させ、飛び跳ね、抱き合い、涙を流した。僕と同じくらいの歳の人もいた。

羨ましかった。そして悔しかった。ナイフで胸をえぐられるような痛みのする悔しさだった。僕は画面のこちら側ではなく向こう側にいるはずではなかったか。どうして僕は今、甘い涙ではなく、苦い涙を飲んでいるのか。僕の夢は永遠に地球に縛られたままなのだろうか。

Brian van der Brug/Los Angeles Times-POOL

2. 夢の地での苦悩

その後の顛末も以前に本に書いたので割愛する。幸運な巡り合わせと様々な人からの支えに恵まれ、何がなんでもこの悔しさを晴らしてやろうと頑張った甲斐があり、僕は再びNASA JPLの面接に呼んでもらえることになった。そして採用された。

2013年5月、僕は職員として、かつてテレビで見た憧れの場所で働き始めた。夢が叶った、とその時は思った。

だが現実は、そうはいかなかった。

最初にアサインされた仕事は3つあった。小惑星リダイレクトミッション (ARM)、火星ローバーの着陸計画の解析、そして海軍から委託された研究だ。

ARMは小惑星を丸ごと月軌道に持ち帰るという非常に野心的なミッションで、僕はとても興奮した。打ち上げは2017年の予定だった。あと4年で自分の仕事が宇宙へ行く。成功した暁には同僚と飛び跳ねて、抱き合って、涙を流しながら喜ぶんだ。そう思った。

ところが1年も経たぬうちに計画の変更があり、僕のいたチームは解散することになってしまった。

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火星ローバーの解析の仕事も楽しかった。だが、こちらもほどなくして「デスコープ」されてしまった。デスコープとは、「君の仕事は不必要になった」というのをオブラートに包んで言う時にNASAでよく使われる言葉である。

結局、僕に残されたのは軍関係の仕事ばかりになった。研究テーマとしては面白かったし、結果を出せば認めてもらえると思って頑張った。でも、このためにNASAに来たんじゃない、という思いがいつもあった。

そんな時、キュリオシティのオペレーターの募集が社内であった。平たく言えば火星ローバーを運転する仕事だ。もちろん応募し、社内面接を受けた。

不採用だった。

ならば自分で自分の好きな仕事を作ろうと思い、研究費を取るためのプロポーザル(申請書)を書きまくった。頑張った甲斐あり、小惑星や火星関係の面白いプロジェクトをいくつも取ることができて、PI(主任研究員)としてそれらを率いた。いつか、そこから生み出した技術を宇宙へ飛ばそうと思った。

プロジェクトメンバーたちの頑張りのおかげで研究成果が積み重なり、僕はそれを実際のミッションをやっている人たちに売り込んだ。だが殆どの場合、反応は冷淡だった。「まだ早すぎる。」それが典型的な答えだった。

正直、心が折れそうになったことが何度もあった。誕生日が来るたびに嬉しさよりも焦りの方が大きくなった。カフカの『城』のようだった。城を目指して雪道を歩く。城は向こうに見えている。だがどれだけ歩いても着かない。この道が城へ通じているのかもわからない…

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3. 続・レンガを積むが如く

現実世界において転機とは、映画や漫画のようにドラマチックに訪れるものではない。たいてい、もっと泥臭いものだ。

僕がJPLに入って間もない頃、キュリオシティの次のローバーの検討が始まっていた。やがてミッションは「マーズ2020」と名付けられた。2020年に打ち上げるから2020だ。最初は少人数でミッション検討が行われていたが、だんだんプロジェクトが大きくなり、ついに僕にチャンスが回ってきた。

着陸地の選定の仕事だ。デスコープされてしまった研究がどういう訳かマーズ2020のマネージャーの耳に入ったようで、僕か、別のもう一人のどちらかにこの仕事が与えられることになった。

ほどなくして、マーズ2020のマネージャーたちへプレゼンテーションをすることになった。今度こそ絶対に逃すまいと思った。プレゼンの準備は予算がついている仕事ではないので業務時間外にやらなくてはいけない。夜や週末にシミュレーションを改良し、何十時間もかけてスライドを準備し、言うことを全て覚えてしまうまで鏡の前で練習した。いつもはTシャツとサンダルで出勤していたが、この日ばかりは襟のついたシャツと磨いた革靴を身につけて臨んだ。

プレゼンは、完璧に決まった。

数週間後にモンタナ州で学会があった。学会中に居合わせた部長から、僕にその仕事が与えられたことを告げられた。途方もなく嬉しかった。抱き合う相手はいなかったが、心の中で飛び跳ねて喜んだ。

学会から戻るとさっそく仕事が始まった。僕は解析コードを書くだけではなく、リーダとして5人ほどのチームを率いた。メンターとして入ってくれた経験ある同僚からは、火星ローバーについて現場の知恵を多くを学んだ。

今までまったく噛み合ってなかった歯車が、やっと回り出した感じがした。

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そうするうちにさらなるチャンスが巡ってきた。マーズ2020ではローバーの自動運転機能を大幅にアップグレードするというのだ。これは僕の専門のど真ん中で、自分で研究費を取って研究してきたテーマでもあった。何より、ここで書いたコードが火星ローバーに載るのだ。なんとしてもこの仕事を取りたいと思い、陰に、陽に、様々な関係者にこれまでの業績をアピールして回った。

とある同僚がこの仕事のリーダーを任されることになった。彼は専門も歳も近く、JPLに入ったもの僕の数ヶ月前だった。友人であると同時にライバル意識のようなものも感じていたが、それは一方的なものだったかもしれない。なぜなら彼は僕のはるか前を走っていたからだ。僕が落とされたキュリオシティのオペレーターに採用され、大きな研究資金も当てていた。その彼が、僕にチームに入らないかと声をかけてくれたのだ。

本音を言うと、彼の下に入ることに心理的抵抗がなかったわけではない。だが、夢を前にしてプライドなどこれっぽっちの意味もない。キッチンに入ってきた虫を潰すように、僕は小さなプライドを音もなく押し殺してチームに飛び込んだ。

今ではチームに入れてくれた彼に心から感謝している。そして彼から多くを学んだ。火星ローバーに搭載されるコードを書いたことは、これまでの人生でもっとも誇りに思う仕事となった。その後に生まれた娘に自分の仕事を説明するときも必ずこの話をする。もちろん、僕が書いたのは膨大な量のフライト・コードのほんの僅かな部分でしかなかったが、それでも紛れもなく自分が作ったものが火星に行くのである。

NASA/JPL-Caltech/MSSS/Paul Hammond

2年ほどこの仕事に携わり、開発がひと段落した後、僕は別の仕事に移った。だがもう一つだけ、まだこのミッションでやり残したことがあった。

昔テレビで見た、チームで飛び跳ねて、抱き合って、泣きながら喜ぶ、あれだ。

オペレーション・チームに入るため、僕はまたいつもの宿題をやった。関係する人たちに聞いてまわり、ある時は間接的に、ある時は直接的に、アピールをした。

そうこうするうちにパンデミックが始まり、社内面接はリモートで行われた。二度目の挑戦。だが、前回とは状況も心境もまったく違った。マーズ2020での経験の蓄積があったから。今度は、自信があった。

そして、僕はチームに迎え入れられた。嬉しかったが、不思議と静かな気持ちだった。

長かった。

それが、最初に感じたことだった。

少し時間を遡った2020年の2月、このローバーの名前が忍耐を意味する「パーサヴィアランス」に決まった。人類は忍耐を武器にウイルスと戦っている。地球を代表して火星に赴くローバーに、これほどふさわしい名前はなかろう。

パーサヴィアランス。この名前は僕個人にとっても特別な意味がある。ボイジャー2号に憧れてから30年。宇宙を目指して海を渡ってから15年。レンガをひとつずつ、ひとつずつ積み上げるようにして作ってきた僕のキャリアが、やっと謙虚な夢のひとつに届く高さに達したのだ。

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4. 謙虚な夢を叶えるためには

若い頃、僕は年相応に野心的だった。今の宇宙を目指す若者がイーロン・マスクに憧れるように、僕もエジソン、アインシュタイン、フォン・ブラウン、マーガレット・ハミルトン、スティーブ・ジョブスなど、20代や30代で大きな成功を掴んだ先駆者たちの話を読み、自分も、と勇んだものである。

そしてひたすら走り続け、やっと小さな夢が叶うと思ったら、僕はもう38歳だ。彼らが38歳の頃に成し遂げていたことと比べてみて、もはや追いつけないほどに遅れてしまったな、と思う。

そうしてやっと、今まで何千年も賢人たちが様々な形で言い続けてきたことを、身をもって学んだのだった。

夢を叶えるには忍耐がいる、と。

若くして大成功した先人たちはもちろん、血が滲むほどの努力をした。だがそれとともに、彼らはたぐいまれな幸運にも恵まれた。僕ももっと幸運だったらアインシュタインになれたんだと言いたいのではない。でも、もしどこかのパラレルユニバースでアインシュタインが10年か20年遅く生まれていたら、他の天才が相対性理論を発見していただろう。もし偶然、フォン・ブラウンがアメリカ軍ではなくロシア軍に捕らえられていたら?もし偶然、ジョブスがウォズニアックに出会わなければ?成功者たちの陰には、同じように努力をしたが同じようには運に恵まれなかった無名の挑戦者が数限りなくいたに違いない。

殆どの人にとって人生は、イーロン・マスクになるには短すぎる。だが、10年、20年、30年努力を重ねれば何かにはなれる。もし僕やあなたが幸運にも70年か80年の時間を与えられたならば、それは謙虚な夢をいくつか叶えるには十分な長さのはずだ。もちろん若者は大きな夢を持つべきだ。心の声に従うべきだ。でも大事なのは、イーロン・マスクにはなれないと分かっても努力をやめないことである。人生は運という波に揺られるクラゲのようなもの。目指す方向へ進むための唯一の方法は、愚直に南へ泳ぎ続ける忍耐(パーサヴィアランス)なのだと思う。

明日、パーサヴィアランスが無事に着陸に成功すれば、僕の謙虚な夢のひとつが叶う。もちろんそれは僕の人生のゴールではない。僕の夢はもっと大きい。僕がフォン・ブラウンになることは、もうないかもしれない。でも今、残り半分の人生でやるべきことは朝日の登る水平線のように明瞭だ。これまで続けてきた忍耐を、これからも続けることである。

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5. 忍耐という名の夢

パーサヴィアランスの着陸はロサンゼルス時間で2月18日の午後12時55分頃。日本時間では19日の朝5時55分頃だ。僕の最初のシフトは着陸後4日目になったので、着陸の瞬間はオペレーション・ルームにはいない。コロナのせいで同僚と抱き合って喜ぶこともできない。自宅から中継を見て祝うことになるだろう。

それでも、過去に画面越しに見た時とは明確に違う。僕は紛れもなくチームの一員だ。僕が選定に参加した着陸地に、僕の書いたコードが載るローバーが降り立つのだ。「恐怖の7分」の間、僕は固唾を呑んで時々刻々と届くデータを見守るだろう。着陸成功の信号が届いたら飛び跳ねて喜ぶだろう。心の中で仲間たちと抱き合うだろう。泣くだろうか。泣くかもしれない。でも涙の味は昔とは違う。忍耐(パーサヴィアランス)の末に夢を叶えた涙なのだから。

 

*この記事は宇宙メルマガ The Voyage 2月号に掲載予定のものを先行公開したものです。

 

著者:小野雅裕   

NASA JPL技術者。副業作家。パーサヴィアランスの開発運用。ミーちゃんのパパ。阪神ファン。

 

 

 

 

著作

宇宙の話をしよう 

昔の僕のように、未来が待ち遠してくてたまらない宇宙っ子たちのために書いた児童書です。

 

 

 

 

 

宇宙に命はあるのか〜人類が旅した一千億分の八

総計5万部のベストセラー。我々はどこから来て、どこへいくのか。

 

 

 

 

 

cover

宇宙を目指して海を渡る

ボイジャーに憧れてから、留学を経てNASAに入るまでの体験記。本記事はこの本の続編です。

 

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