MITの卒業式に出るため、4ヶ月ぶりにボストンに戻った。着陸前に窓の外を眺め、薄雲の切れ間からボストンの街並みが見えてきたとき、愛する場所に帰ってきた喜びと、今回の旅を最後にここを再び訪れることは久しくないだろうという切なさの入り混じった感慨が、僕の胸にこみ上げた。それは別れた恋人と一度きりの再会をする時の気分と似ていた。
空港を降りると、思いがけず今回一緒に卒業するMITの友人が待っていた。彼の母親が卒業式を見に来るために僕と同じ飛行機に乗っていたので、空港まで迎えに来ていたのだった。ちょうどよいと彼の車に便乗させてもらい、4ヶ月前まで住んでいたアパートメントまで送ってもらった。ルームメイトに頼んで、懐かしいこのアパートメントのリビングルームに泊めてもらうことにしたのだ。しかし、荷物を下ろして窓からチャールズ川とボストンの風景を眺めるうち、すぐに「懐かしい」という感情は消え、きのうもおとといもこの場所で日常生活を送っていたような錯覚に陥った。ボストンにいた頃の記憶のよりも、きのうまでいたはずの東京での記憶の方が古いような気がした。
翌日のHooding Ceremonyは11時からだったので、早起きして一人で街を散歩した。ボストンには梅雨がないので、北国の短い夏が始まる6月は街が最も活き活きと輝く季節だ。油絵のように強烈な色彩を帯びる東京の夏と違い、ここの夏は水彩画のように穏やかな色をしている。街路樹の葉はまだ新緑の香りを残し、爽やかな風に揺れている。僕はロングフェロー橋を歩いてチャールズ川を渡った後、チャールズ・ストリートの商店街を抜け、ダウンタウンに近いバブリック・ガーデンに出た。一人で、あるいは二人で、何度も何度も歩いた道だった。歩きながら色々なことを考え、またいろいろなことを話した。そうやって歩きながら、僕はこの街で成長した。この街で辛い経験をし、自信を失い、そしてそれを少しずつ取り戻した。僕はこの街で将来に迷い、悩み、やがて道を見つけた。また、僕はこの街で何人かの女性に恋をした。そしてその最後の人とこの街で結婚した。22歳の青臭かった若者は、そうして29歳になったのだった。
晴れて卒業式で学位を授与された翌日の土曜日、日本人の友人たちと、ボストン湾に浮かぶジョージズ島へピクニックに行った。19世紀に建てられた要塞が面積の大部分を閉めるこの小さな島は、現在はボストン港から船で30分の日帰り行楽地になっている。ここでバーベキューをするのがMIT日本人会の毎年恒例のイベントなのだが、今年は僕がボストンに帰るタイミングでそれを企画してくれたのだ。雲の殆どない快晴で、汗だくになって肉を焼いてみんなで食べ、要塞探検をしたり、スイカ割りをしたりして、慣れ親しんだ顔ぶれと子供のようにはしゃぎながら時を過ごした。輪の真ん中には今年から仲間に加わった二人のかわいい赤ちゃんがいた。親友の二人が最近相次いでパパになったのだ。一方、輪の隅では若い仲間が女の子に熱心に話しかけていて、僕はそれを横目で微笑ましく見ていた。全ては本当に美しい光景だった。僕は自分に絵を描く才能がないことを悔やんだ。
あっという間に時間が過ぎ、僕たちは帰りの船に乗り込んだ。しかし僕はこの美しい一日が終わってしまうことが惜しくてならず、船が途中に寄港したスペクタクル島で数人の仲間を連れて衝動的に下船した。この島の名はボストン湾を一望できる展望台があることに由来する。僕らはその展望台を目指して山道を行進した。頂上に着いたのもつかの間、最終の船に乗り遅れるとあわてて坂を下る途中、レンジャーのトラックが背後から走ってきたので、呼び止めて荷台に乗せてもらった。青春映画みたいだな、などと言いながら荷台の上で笑いあっている最中にふと、何十年後かに自分の「青春時代」を振り返るとき、今日をその時代の最後の一日として思い出すのだろうという直感がして、急に切なくなった。目を友人の顔から景色へ移すと、海の向こうに林立するボストンの高層ビル群が、西に傾いた日を受けて燦然と輝いていた。
そう、この街で過ごした6年半こそが、僕の青春だったのだ。そのうるわしき記憶は僕の脳の中に保存されているのではなく、この街のいたるところに染み付いているのだ。チャールズ川に浮かぶヨットの白帆に、それを見下ろすアパートメントの屋上に、パブリック・ガーデンの池のほとりのベンチに、ビーコン・ヒルの街路樹の木漏れ日に、薄暗い地下鉄の駅に、楽しく、愉快な、あるいは甘く、切なく、酸っぱく、時には苦々しい記憶たちの一つ一つが焼きついているのだ。だからこそこの街はこんなにも美しいのだ。
4泊5日のボストン滞在は青春時代のように速く過ぎ去り、出発の日を迎えた。明日からはまた、東京での日常が始まる。次にボストンに帰ってくるのは何年後になるだろう。その時には住み慣れたあのアパートメントに泊まることはできないかもしれない。街並みはどのくらい変わってしまうのだろうか。友人たちはまだ残っているだろうか。
しかし、こうしてボストンが日常から手に届かぬほどに遠くに離れることは、僕にとって幸運なことなのかもしれない。なぜなら、この街に蓄えられた僕の青春の記憶が、日常の喧騒に汚されることなく、いつまでも美しいままであり続けることができるからだ。昔に恋し別れた人の姿が、記憶の中ではいつまでも若くあり続けるように。
One thought on “青春はうるわし ~ボストンを愛して~”
これで完結?おめでとうございます。
最低限しかやらずに逃げ切った誰かさんと違って(笑)
いろいろと余計なことまでちゃんとやって卒業できたのは
誇るべきことだと思います。
今は「あそこのTとかいう大学(by K)」ですか?
今後どうなるかわかりませんが、お互い頑張りましょう。
京都は自然が豊かでいいですよ・・・?