アメリカの今週末は、Memorial Day (戦没将兵追悼記念日)の三連休だ。
日本では「戦争」とは半世紀以上前の歴史の中の物語だが、アメリカでは戦争は現在進行形で起きている。平和が当たり前になった幸せな国では忘れ去られた悲しみの風景が、この国にはまだ存在する。
とあるカメラマンが昨年のMemorial Dayに撮影した上の写真は、多くのアメリカ人の胸を打った。あえて僕の個人的な意見は伏せて、代わりに、この写真とともに”TIME Annual 2007″に掲載された文を、以下に全訳する。
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メモリアル・デイ連休の日曜日、メアリー・マックヒューさん(26)は、彼女の婚約者であったジェームズ・レーガン軍曹の墓前で、悲嘆に暮れていた。歩兵第75レンジャー部隊に所属していたレーガン軍曹(当時26歳)は、2007年2月9日、バグダッド郊外を車両でパトロール中、路肩爆弾の爆発に巻き込まれ死亡した。レーガン軍曹はニューヨーク州マンハセット市出身で、高校とデューク大学在学時はラクロスのスター選手だった。高校のラクロスのコーチだったジャック・モランさんは、「(彼の死の)ニュースを聞いたときは、トラックに撥ねられたようなショックを受けたよ。彼ほど素晴らしい人は他にいなかった。」とニュースデイ誌に語った。レーガン軍曹はデューク大学を卒業後、ロースクールに進学するための奨学金を受けたが、(それを辞退し、)兵士になる道を選んだ。「彼は、『俺がやらなきゃ、だれがやるんだ?』と言って軍に入ったのよ。」と、(婚約者の)マックヒューさんは語った。
(この写真を撮影した)写真家のジョン・ムーア氏は、彼のブログに以下のように書いている。「この写真は(彼女と死んだ婚約者との)プライベートなもの(で、撮影するべきではなかったの)ではないか、という人もいた。しかし私は、この写真を見た多くの人たちと同じように、彼女の悲しみに沈む姿にショックを受け、亡き婚約者への愛の深さに心を動かされたのだ。」
2007年9月18日までに、3,791人のアメリカ軍兵士がイラクで死亡し、27,936人が負傷した。
(TIME Annual 2007より)
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今日は僕の周りの結婚ラッシュで、三組が式を挙げた。東京では留学仲間でもあったハトコが、ボストンではMITのラボの仲間二組が。僕はそのうち一方のパーティーに参加。ダンスが特技の彼は、みんなの前で彼女をリードし、サルサを披露した。
ダンス・フロアの上に二人きり、祝福の目線とフラッシュの光を背中に受けながら、彼らは照れを隠すように顔をうつむかせ、幸せを確かめるようにお互いの手を握って、軽快な音楽に合わせて体を揺らした。
目の前に溢れる幸せの風景に浸りながら、東京とボストンで花開くもう二つの幸せの風景を思い描いていると、「幸せ」というものの普遍性に少しの疑いも挟む余地が無いように思えてしまう。しかし、白いチューブトップ・ドレスを着て踊る新婦の華奢な背中が、婚約者の墓前に突っ伏して嘆き悲しむ女性の背中と重なって見えたとき、目の前にある幸せの風景と、写真の中の悲しみの風景との境界は曖昧になり、たった今確信したはずの幸せの普遍性は脆く崩れ、ただひとつ普遍であるのは、人間と人間だけなのだと気付かされた。
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レバノンで「中東和平」をしている友人のブログ。平和が当たり前になった日本には存在しない、もうひとつの風景がある。
4 thoughts on “幸せの風景と、悲しみの風景と”
教えられてこれを見つけました。
天梯読んだよ。受賞おめでとう。
娘もロボットというオチだったらかなり笑えた。
俺はボスドク無間地獄が怖くてアカデミアを去る人間だが、
研究がんばってね。その先に何が待ってるかわからないけど。
おー、ありがとう。俺もPhD後はアカデミアに残るか分からないけどね。
チビジャリのパスポート回収しに総領事館逝ったらJマガジンあったお!
なんか見たことある人の顔が出ててびっくりしたお!
それにしても卒業式のガウンが学位によって違うなんて知らなかったお!
にしても修士と学士はほとんど変わってなくてつまんないお!
卒業式こんなクソ暑くなくて助かったお!
でもono君が出るとわかってたらRockwellで探したお!
さあ、ガラクタの箱詰め作業に戻るか。(涙)
・・・某掲示板のやる夫風に書くとかなりアホにしか見えない。
ひぬま>分かりにくい名前つかうな。かつ、キモい言葉を使うな! 笑
やーJ Magazine見てくれたのか、恥ずかしい。
修士はまあ努力賞だからね。博士取得おめでとう。引越しがんばれー!