一週間ほど、ベトナムをふらついてきた。わざわざ日本に帰省したんだから、のんびり温泉にでも行けばいいのに、と親は呆れ顔だ。外国に住んでいるんだからわざわざ海外旅行しなくてもいいじゃん、と友達も言う。しかし、アメリカに二年半も住むと、もうアメリカは「外国」ではなくなる。だからそろそろ、「外国」の空気が吸いたくなる。
陳腐な言葉だが、ベトナムは素晴らしい国だった。何を食べてもおいしい。どの場所も素朴な魅力に溢れている。治安も良い。(たぶんアメリカよりも良い。)旅行インフラも整っていて、移動にも宿泊にも全く苦労しない。そして、何よりも素晴らしいのは、人の笑顔だ。誇張でも何でもなく、たった30年前に泥沼の戦争をしたとは信じられないほど、平和な笑顔に溢れた国だった。ベトナムを売り込む人は「笑顔がまぶしい国」と言い、疲れたバックパッカーは「笑顔で人を騙す国」と表現する。笑顔の裏で何を考えているのかなんて分かるわけないが、正直、どっちだっていい。どっちだっていい、と思えるほど、素敵な笑顔たちだった。
(↑My Thoの市場の屋台)
たとえば、街を歩くと3分に1度はバイク・タクシーの客引きに呼び止められる。”No, thanks” と言って彼らを払いのける。ここまではどこの国へ行っても同じ。しかしベトナム人はなぜか、売り込みに失敗すると笑うのだ。「そうかい、いらないかい、まあせいぜいよい旅を」と毒づいているのか、あるいは「やー、ちょっとふっかけすぎたかなぁ」と反省しているのか。とにかく、爽やかに笑う。
たとえば、少し田舎に行くと英語を全く喋れない人に出会う。僕らも「こんにちは」「ありがとう」くらいのベトナム語しか知らないから、身振り手振りで必死に用件を伝えようとする。それが伝わったか伝わってないか、いまいちよく分からないのだが、とにかく彼らは僕らの必死のジェスチャーを見ながら、穏やかに笑っている。
(↑ ウイ君)
いちばん素敵だった笑顔は、Ben Tre省 (ベンチェー)の宿で働いていた、ウイ君のそれだ。My Tho (ミトー)市からメコン川を挟んで対岸のジャングルの中にあるその宿には、部屋は3つしかなく、宿泊客よりむしろ、My Thoからメコン川クルーズでやって来る日帰り客にお土産物を売るほうがメインの商売なようだ。僕らがウイ君に出会ったのも、朝のメコン川クルーズでその宿に立ち寄った時だった。彼はしきりに、今晩ここに泊まらないか、二人で一泊8ドルだ、と勧めてきた。少々怪しかったが、なかなか素敵な場所だったし、その晩に泊まる場所も次に行く街も決まっていなかったので、なんとなくその話に乗ることにした。
朝6時に出発したメコン川クルーズは午前中には終わり、昼にMy Thoの市場をぶらついた後、渡し舟に乗って宿のある対岸のBen Tre省へ向かった。6つの国と2つの首都を流れてきたメコン川は、その最下流のデルタ地帯で9つの支流に分かれる。My ThoとBen Treの間を流れる川はそのひとつにすぎないのだが、それでも川幅は2kmを超える。橋はまだ建設中で、人もバイクも大型トラックもすべて、この渡し舟でメコンを渡る。
Ben Treの船着場に、ウイ君は満面の笑みで迎えに来てくれた。宿はここからバイクで五分ほど。部屋に着くなり、ウイ君が、きれいな景色を見せてやるから一緒にサイクリングに行かないか、と誘った。どうせあとで高いチップを請求されるのがオチだろうと僕は身構えてしまったのだが、せっかくだから行ってみよう、と連れが言うので、その話にも乗ってみることにした。
ウイ君の先導で、ジャングルの中の細い道を、右へ、左へ折れながら走っていった。道の両側には溝があり、そこに溜まった水はメコン川と同じ色に濁っていた。たぶん、掘ればどこでもメコン川になるのだろう。このジャングル全体が、かろうじてメコン川に浮いているようなものなのだ。「ジャングル」といっても、100m おきくらいにベトナム式の解放的な家が立っている。新しい家も多い。新居の値段は100万円程度だという。ここらへんに住む人は、主にココナッツを採ってMy ThoやSaigonで売り、生計を立てているそうだ。
そうやってジャングルの中を20分ほど進むと、ひょっこりと広い水田に出た。ちょうど夕焼け時だった。「きれい!」と声をあげる僕らを見て、
「日本のお客さんは、みんなここが好きなんですよ。」
と、ウイ君が満足そうに笑った。きれいに整った水田に稲が実る景色は、日本人にとってはなんとも懐かしく感じる。しかし、日本と違う点がふたつある。ひとつめは、田んぼの背景にあるのがヤシの木であること。ふたつめは、黄色く穂を垂れている田んぼの隣には、青々と葉を伸ばす田んぼがあること。日本では春に田植え、秋に収穫と決まっているが、熱帯のメコン・デルタでは一年中稲が育つ。だから、隣り合う田んぼの田植えの時期は同時ではなく、収穫時期も同時ではない。さらに驚いたのが、メコン川が運んでくる豊富な栄養分のおかげで、ひとつの田んぼで年に四回も米を収穫できる、ということだ。日本でも暖かい地方で米の二期作が行われているが、メコン・デルタでは四期作なのだ。だから、関東平野とさほど変わらない面積のメコン・デルタだけで、ベトナム全人口を養って余りある量の米が収穫できる。(ベトナムの米の生産量は世界第5位、輸出量は第2位)
田んぼで夕日を眺めたあとは、ふたたびウイ君の先導でジャングルの中を走り、船着場に続く目抜き通りに出て、通り沿いの食堂でフォー(ベトナム式麺)を食べた。さらに屋台でフルーツの盛り合わせを食べたあと、洋服屋へ。なぜ洋服屋かというと、僕が連れにアオザイを買ってやりたい、と言っていたからだ。こんな汗まみれで試着させてもらうのは申し訳ない、などと言いつつ、試着室から出てきた彼女の綺麗さに、僕もウイくんも大はしゃぎ。ウイ君と彼女のツーショットをとってやると、鼻の下を伸ばして喜んだ。その後、彼女が服屋にサイズを調節してもらっている間、ウイ君に、
「ガールフレンドはいるの?」
と聞いた。すると彼は笑顔のまま下を向き、
「ここではお金がなきゃ、ガールフレンドもできないし、結婚もできないんだ。」
と答えた。父親のいない彼は、母を養う分も稼がねばならなず、なかなかお金が貯まらない。
「ウイ君は英語が上手だし、日本語だって話せる。だから上手くやればきっと儲けられるよ。」
と励ましたが、何の苦労も知らない金持ち旅行客の言葉に、どれほどの説得力があっただろうか。
宿に戻ると、オーナーの一家が鍋を囲んで夕食を食べていた。是非一緒に食べていけ、というので、その輪に加えさせていただいた。上半身裸の子供3人は、みんなまだ中学生くらいなのに、タバコを吸い、酒を飲む。彼らが飲むのは、バナナ・ワインというなかなか強いお酒なのだが、「友情の証」「絆」などと理由をつけては、相手を指名してショットで飲ませてゆく。彼らは日本からの来客とよほど強い絆を結びたかったのか、あるいはただ僕を飲ませたかっただけか、僕は光栄にも全員から何度も何度もご指名を頂戴し、海外旅行の開放感も手伝って、酒に強くもないのに、自分でもびっくりする勢いで飲みまくった。そしてやっとボトルがひとつ空いたと思うと、子供の一人が裏から新しいボトルを取ってくる、というお決まりのパターン。もう勘弁してくれ、と部屋に戻ったあと、トイレに駆け込むと、僕のメコン川が大逆流の大洪水。連れ曰く「胃袋を裏返したように吐いていた」そうだ。その後、僕らはウイ君に連れられて夜の散歩に出たらしいが、ほとんど記憶がない。唯一覚えているのは、橋の上で寝ていた犬を踏んでしまったこと、そして、そこから見た満月が不気味なほどに明るかったことだ。
翌朝、ウイ君に、バスの時間です、と叩き起こされた。大慌てでパッキングし、ウイ君が買ってきてくれたフォーを空っぽの胃に流し込む。Ben TreからPhan Thietへのバスが朝7時頃に宿の近くを通るから、通りで待ち構えてバスを捕まえよう、という計画だった。バイクに3人は乗れないから、ウイ君は二往復して僕と連れを通りまで運ぶ。しかし、僕が先に通りに着いて連れを待っている間、お目当てのバスがものすごいスピードで目の前を通り過ぎてしまった。数分後に連れを乗せて到着したウイ君に事情を話すと、彼らはそのままバイクでバスを追いかけ、僕はその間、走って船着場へ向かった。なんとか彼らは船着場でバスに追いつくことができ、僕も戻ってきたウイ君に船着場まで運んでもらった。バイクを飛び降り、連れを見つけると、満足に礼を言う暇もなく、ダッシュでバスが乗ったのと同じ船に飛び乗った。走る途中に振り返って手を振ると、ウイ君も満面の笑みで手を振っていた。いい笑顔だった。
結局彼は、一度もチップやガイド料を請求しなかった。夕食代と朝食代をだいぶ多めに渡したが、それだってせいぜい数百円だ。物価は日本と10倍は違わないから、現地の値段でも大した金額ではない。船の上で歯を磨きながら、結局ウイ君は何が目当てであんなに親切にしてくれたのだろう、と連れと話した。単に日本人が好きなだけなのか。ああした方が日本人は多めにチップを払うことを知っていたからか。いや、実は彼には大きな野心があって、こうやって日本人に親切にして、口コミで彼の噂を広めてもらい、将来大もうけしようと考えているのか。しかし実際のところ、僕らにとっては、どうだってよい。ただひとつ重要なのは、彼の笑顔が僕らに最高の思い出をくれたことだ。そして、もし彼に野心があるならば、ぜひともそれを実現して、素敵な奥さんを見つけてほしいと思う。
彼が働く宿の住所を、この記事の末尾に記す。ベトナムに行く機会のある人は、ぜひ一度、訪れてみてはどうだろうか。そしてこの記事が、ウイ君の「野心」実現の一助になることを祈りつつ。
(↑ なんとか間に合った。ほっと一息、船で歯磨き。)
ウイ君のいる宿の住所と道順。My ThoからBen Tre行きの渡し船に乗り、船着場から1kmくらい。上に地図を載せたが、左に折れる道の入り口がとにかく分かりづらい。道の入り口をまたぐように看板があったが、ベトナム語だったので、何と書いてあるか分からなかった。僕がアオザイを買ったドレス屋(外に面したショーケースには、アオザイではなくウェディングドレス等が飾られている)が、左に折れる道の入り口のすぐ手前にある。しかし、上の地図を頼りに歩いて行くより、下の電話番号に電話して、船着場まで迎えに来てもらうのが無難だと思う。
上記が電話番号。”cho gan Oui”が、「ウイ君をお願いします」という意味のベトナム語。ただし、ベトナム語は声調言語なので、ローマ字を読んだだけでは通じない。大雑把に言うと、”cho”を高く、”gan”を低く、”Oui”を尻あがりに発音する。正しい発音はベトナム語の本を参照してください。