風情が感じられないボストンの正月、お茶くらいはオイシイものを飲むか、と思い、母が日本から送ってくれた煎茶を開封。するとパッケージに張り紙が。
「煎茶。お湯は少し冷ましてから」
一緒に住んでいるときは激しく口うるさい母親だったけど、離れて暮らして、外国で寂しい正月を送っていると、逆にそのオセッカイなまでの気遣いが心に染みます。
お湯を冷ます間、フットボールをTVでぼんやり観戦。そういや今頃、日本では箱根の坂を登ってる頃でしょうか?
追記(2007/7/7)留学してから半年後の正月に、初めて日本に帰省した。その時、年末の歌番組で流れていた、さだまさしの「案山子」という歌が、妙に心に残ったのを覚えている。というのも、その歌詞が、母親が頻繁に送ってくるメールの内容とそっくりだったからだ。元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
寂しくないか お金はあるか 今度いつ帰るか
今までは小遣いをくれと言ってもなかなかくれなかったのに、親元を離れたとたん、向こうから「お金はあるか」と聞いてくる。それを聞くメールの口調が妙にしんみりしている。あんなに毎日息子を怒鳴り散らしていた母親が、急に老け込んでしまった感じがした。
僕はまだ親になったことはない。しかし、「親」とはかくいうものなのだ、というのが、留学して以降、少し分かった気がする。
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