何気なくこんなツイートをしたところ、思わぬ反響があった。同意のリプもあれば厳しい批判も。
仮説をひとつ。
近年の日本の科学技術力の低下は、就活における「外資系ブーム」にあるのではなかろうか?
理系のトップ人材が、マッキンゼーなどのコンサルや、GSなどの金融に流れていってしまっている。一昔前なら、ソニーや東芝や日立にいって日本の技術を底から支えた人材だ。
(続く)
— Hiro Ono / 小野雅裕 (@masahiro_ono) February 16, 2020
しかしかくいう僕もこんな過去がありまして:
そんな小野君がコンサルに関心を持っていた過去を知っているけど、つくづくならなくて良かったと思っているw
天職の研究者としてどんどん光を放ち続けて欲しい。 https://t.co/aHhVEOwzIq
— Masashi Sato/佐藤 将史 (@masasi_jp) February 16, 2020
現在はこう思っているわけです:
そうなのです。自分も振り返ってみて、あの時そうしなくて良かったと本当に思っています。あの節はアドバイスをありがとうございました。 https://t.co/W8KVBak4UH
— Hiro Ono / 小野雅裕 (@masahiro_ono) February 16, 2020
迷いの時期からすでに10年以上が経った。どうして僕は迷っていたのか。どうしてあの頃、研究開発職よりもコンサルや金融の方が良く思えたのか。魔法が解けた今だから、良くわかる。それがもしかしたら、今迷っている就活生や、悩める人事さんの参考になるかもしれないと思い、書き留めることにする。
Part 1. 10年前にコンサル・金融に憧れた理由
1. 尊敬できる人と多く出会った
お世辞でも何でもない。素直にそうだったし、これが一番の理由だった。
僕が留学していたMITやお隣のハーバードには、様々な企業から派遣されてきた留学生がいて、外資コンサルや金融から来た人も多くいた。
それまで僕はそのような会社の人とは会ったことがなかった。グローバル投資銀行なんて腹黒い悪の帝王みたいに思っていたし、コンサルに至っては一体何をやっているかさっぱりわからなかった。
そもそも学生は社会人に対して引け目というようなものが微かにある。なんでかって、学生というだけで馬鹿にしてかかる大人が世の中にはいるからである。「学生っていいよね、気楽で責任も競争もなくて」などと嫌味ったらしく言ってくる輩は、つまり自分が責任も競争もない気楽で怠惰な学生生活を送っていましたよ、という自白なのだろうが、しかし僕は週60時間くらい研究して、成果が出なければ教授から首を切られる環境で、ギリギリで戦っていたわけで、そういう大人と会うと心底胸糞が悪かった。
ところがどっこい。
マッキンゼーや、勝手に悪の帝国と思っていたゴールドマン・サックスからきたお兄さん・お姉さんたち、めちゃくちゃいい人だった。僕が若くて学生で一度も社会経験がなくても、決して上から目線で話してくる人はいなかった。それどころか彼ら彼女ら自身が非常に努力家で、大学の授業も課外活動も真剣に取り組んでいたし、そして恐ろしいほど頭が良かった。話し始めて5分で頭がいいなとわかる人たち。しかし決して偉ぶることはない。
そんな人たちの多くが大学は理系だったと聞いてさらに驚いた。理系にもこんな進路があるのかと初めて知った。
そんな彼ら彼女らが、こんなアドバイスをしてくるのである。
「誰と働くかは、とても重要だよ。」
これは300%同意する。誰と働きたいって、そりゃあ彼ら彼女らのような人と働きたいさ。それが、あの時期、外資コンサルや外資金融に憧れた理由である。
ちなみに今、こうも思う。彼らは間違いなく日本の理系のトップ人材だった。コンサルや金融に転身していった留学時代の友人たちも皆、人間としても研究者としてもリーダーとしても最高の人たちだった。彼らがもし研究開発職に就いていたら、どんなに素晴らしい発見やイノベーションが生まれただろう、と。
2. 隣の芝は青い
これは古今東西普遍の法則だろう。
研究ってしんどい。だいたいMITの博士課程に来るような学生は、「ノーベル賞を取るんだ」とか「世界を変えるイノベーションを起こすんだ」とか特大の志とモチベーションを持って入学してくる。しかし博士課程に入って4年も5年もすれば疲れてきて、初心が霞んでくるものである。そして心に迷いが生じる。自分のやっていることは意味があるのだろうか、なんて考え出す。
コンサルや金融が楽なわけはもちろんない。それどころかものすごい大変な仕事であることは、上に書いたお兄さんお姉さんたちから聞いてよく知っていた。しかし、そんなことは頭でわかっていても、浮気相手の方がよく見えるのが人間の性である。
10年前、隣の芝生へ「逃げたい」という気持ちが僕の心の中にあるとは、自分では思わなかったし認めなかった。でも10年後から振り返って心の中を探ってみると、たしかにそういう気持ちがあったと思う。誰の心にも弱さはある。
3. プライド
これも10年後から振り返り心の中を探ってみて、はじめて気づいた理由だ。
恥ずかしい理由だ。これも、僕の心の弱さの一部だろう。
アメリカの大学は本当に厳しい。博士課程に入った人の約半分は、辞めたり辞めさせられたりして、博士号を取らずに去っていく。
留学生の方が偉いんだ、と思っていたわけでは決してない。日本の大学にだって、僕よりももっと頑張って結果を出している学生がたくさんいる。彼らや彼女らと同列やそれ以下に扱われることは、当然だし、何の問題もなかった。
一方で、日本の大学にはひどい学生も多くいる。サークル活動にばかり精を出し、大学の授業なんて社会に出てから役に立たないと豪語し、試験前に友達のノートをコピーして単位だけ集める。アメリカの大学ならば当然そんな学生に学位は来ないが、しかし日本の大学だとそんなのでも修士号を取れてしまう。もしそれが有名大学ならば、有名企業にも入れてしまう。
そしてもし僕が旧来的な日本企業に入れば、大学での努力も成績も研究成果も一切考慮されず、怠け学生と同じ給料、同じレベルからのスタートだ。
それだけは、どうしても気持ち的に嫌だった。
おそらく、日本の大学で努力を重ね結果を出してきた学生も、同じように感じているだろう。
一方、コンサルや金融の仕事は「特別感」に溢れている。年が何十も上の社長さんに直接助言したり、個人では見たことも触れたこともないゼロの大行列みたいな金額のお金を動かしたりできるわけだ。
そして給料が比較にならないほど良い。もちろん人には夢があり、お金のために仕事を選ぶわけではないが、しかし人間よほどの聖者じゃない限り、お金はたくさんもらえれば嬉しいに決まっている。何より重要なのは、プロスポーツ選手などもよく言っているが、給料は自分のパフォーマンスへの定量的な評価であるということだ。年功序列ではなく、純粋に結果に基づいて評価されたい。これは僕だけではなく、頑張ってきた学生たちの偽らざる気持ちだと思う。
小野は子供の頃からNASAに入りたかったんじゃないのか、と声が聞こえてきそうだが、もちろんNASAしか受けないなんてリスキーなことはするわけがない。他にいくつも仕事のオプションを探った。日本のメーカーも話は聞いたが、結局どこにも応募しなかった。一番大きな理由は、これだったと思う。
Part 2. 個人にとっての最適解と、社会にとっての最適解の不一致
さて、僕の過去の心の迷いを曝け出した後で、これから一体何が言えるだろう?
二つの問題を分けて考える必要がある。一つは個人の選択の問題。もう一つは社会の問題。
個人の選択としては、理系の優秀な人材がコンサルや金融にいくことは、上記の理由から100%理解できる。完全に合理的な行動だからだ。僕だってそうしたかもしれない。だから彼ら彼女ら個人を責める意図は毛頭ない。僕の留学時代の友人たちも、現在もそれぞれの世界で昔と同じように努力を重ね、輝いている。
だが、社会の問題となると話は違う。冒頭に引用したツイートの通りだ。理系人材の不足は言われて久しい。日本で、世界で、希少な人材が社会の本当に必要とされている場所に行っているのだろうか。言い換えれば、人類文明のリソース配分は最適化されているのだろうか。自由な市場経済に任せれば「神の見えざる手」がリソース配分を自動的に最適化するという古典的自由主義をナイーブに信じられる時代は過ぎた。我々は市場の失敗を嫌というほど見てきた。その失敗は当然、労働市場にも起こりうる。
科学技術の問題についていえば、コンサルタントや金融マンはイノベーションをファシリテートするのが役目である。プレーヤーはエンジニアだ。どちらも必要である。しかるに現在の日本では歴然とした待遇の差がある。その結果、優れた人材がファシリテーター側に偏っているとすれば、コーチばかり優秀で選手が貧弱なサッカーチームのようになってはいないか。
もっと広い問題についていえば、100億円持っているお金持ちの資産を110億円にしてあげる仕事と、月給10万円で生きている人の給料を11万円にしてあげる仕事の、どちらが社会的に大事だろうか。金持ちも貧乏人も人間としての価値にもちろん差はないが、しかしビジネスをするなら金持ち相手の方が儲かる。だから人材も資本も集まる。しかしそれは社会にとって本当に最適なリソース配分だろうか。
Part 3. 結局、僕が研究開発職を選んだ理由
ものすごく短くまとめると、2010年4月5日にスペースシャトルの打ち上げを見て、轟音と爆風に心の迷いを吹き飛ばされ、泣きながら子どもの頃の夢を思い出した、というわけなのですが、もっと長い話は別の場所に書いたので、興味があればそちらをご覧ください。
Part 4. その後、どうしてる?
卒業後、1年間だけ慶應大学で助教をやり、その後はNASAのジェット推進研究所に転職して、7年になる。
この選択に心から満足している。後悔はただの一点もない。逆に、もしこの道に進まなかったら後悔していただろう。
なぜか。結局、この仕事が、昔からやりたかった仕事だからだ。
この夏、新しい火星ローバーが打ち上げられる。僕が書いたプログラムが火星に行く。僕はプロジェクトの一番下っ端だった。何千人が関わるプロジェクトで、僕が担当できたのは目に見えないほど微々たるものだ。
正直、しんどかった。そして7年もかかった。コンサルや金融だったら、その間に何度も転職し何十ものプロジェクトを経験していただろう。でもいい。仕事は数じゃない。一生残る仕事を一つでもできれば、それほど満足なことはない。
7年間で一番嬉しかったのは、完成したローバーを三歳の娘に見せた時だ。パパがつくったロボットが火星に行く。ちゃんと理解してくれている。クリーンルームのガラス越しにローバーを見せた時、娘が質問した。
「あのロボットの、どこをパパが作ったの?」
さて、ソフトウェアの概念をどうやって三歳児に説明しようか。
「ロボットが走るときに、岩にゴッチンコしないように、教えてあげたんだよ。」
娘は狐につままれたような顔をしていたが、僕の胸は心の底から湧き上がってくる満足感に満たされていた。
大阪に住んでいる僕の叔父はマクセルの工場に勤めていた。中学生の頃だったか、叔父が僕が持っていたMDのディスクを指差して、「これウチの工場で作っとるんや」といった。その顔がとても誇らしげだったのを覚えている。
きっとメーカーに勤める人ならば一度は経験したことがあるだろう。
「あの車のブレーキ、お母さんが設計したんだよ!」
「このアプリのユーザーインターフェースはお父さんが実装したんや」
「あのビルの窓ガラスはママがデザインしたのよ」
「この前乗った電車の制御回路はパパが組んだんだぞ」
そんなとき、いつものパパやママが、少し輝いて見えるだろう。
Part 5. 就活生へのアドバイス
さて、僕は何を就活生にアドバイスできるか。
あまり、ない。先ほど、個人の選択の問題と社会の問題を切り分けて考えるべきだ、と書いた。あなたが就活生なら、純粋に個人の選択の問題として捉えるべきだ。社会の理不尽を一人で背負いこむ必要はない。自分が一番輝ける場所に行けばいい。そしてお金も大事だ。これから家族を養っていくならなおさらだ。綺麗事をいう必要はない。研究開発職に未練がないなら、ためらう必要はない。
だが、もしあなたが迷っているなら、二つだけアドバイスできることがある。
一つ目。研究開発職のキャリアは一方通行だ。
何歳になっても、研究開発職からコンサルになることは簡単である。むしろ実績があった方がなりやすかろう。日本では事情が違うだろうが、アメリカの大学の教授は往々にして副業でコンサルをやっている。うちの職員にも多い。
だが、一度研究開発から離れてしまうと、戻ることはまず不可能だ。スポーツと似ているところがある。(一人だけ例外を知っている。この人だ。)
二つ目。こんな思考実験をしてみよう。あなたに現在、お子さんはいるだろうか?就活生ならば、いない人が圧倒的に多いだろう。そのまま子を持たずに一生を過ごす人も多いが、統計的には、あなたはいつかパパやママになる確率が高い。するといつか、あなたの仕事を息子や娘に語る時が、来る。
あなたは、何を語りたいだろうか?
Part 6. 研究開発職に来てもらうために、我々にできること
研究開発職にいる我々にとってはもちろん、将来有望な若者にこの道を選んで欲しいと思うわけだ。
何よりも、日本企業は研究開発職の給料をコンサル並みに上げる必要がある。(アメリカではそうだ。)年功序列の横並びも正す必要がある。だが、そんな話は他の人が何千回も言ったり書いたりしているだろうから、僕がここでそれを繰り返す必要はあるまい。
僕たちひとりひとりの科学者やエンジニアに、できることは何かあるだろうか?
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」にこんな一節がある。
今じゃ機械の世の中で
おまけに僕はエンジニア
苦労苦労で死んでいった
母ちゃん見てくれこの姿
1965年の歌だそうだ。高度経済成長の真っ只中。その頃はきっと、エンジニアという仕事が、現在の外資コンサルタントや金融マンのように、キラキラ映って見えたのだろう。
きっと今の中国やインドでは、研究開発職が、当時の日本のようにキラキラと輝いているのだと思う。
我々の力で、もう一度キラキラと輝かせようではないか。我々がキラキラと目を輝かせている姿を、様々な手段で発信して、積極的に若者に見せていこうではないか。この仕事の楽しさややり甲斐を、恥ずかしがることなく子供達に伝えていこうではないか。きっとそれが、人類の未来をもう少しだけ輝かす一助になるだろうと思っている。