夕涼みーちゃん

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ミーちゃんが3ヶ月か4ヶ月になった頃からだっただろうか。僕とミーちゃんの、毎晩の「儀式」ができた。

「夕涼みーちゃん」と名付けられたこの儀式。大したことはない。夕食が済んでから、ミーちゃんをお風呂に入れるまでの10分か20分の間、ミーちゃんを抱っこしてベランダに出て、夕空や景色を見せたり、歌を歌ったりするのだ。

僕が仕事から帰ってくるのはだいたい7時。夕食が終わるのは8時頃。キッチンに赤ちゃん用バスタブを置いてミーちゃんを風呂に入れるのは僕の仕事なのだが、その前に妻が食器を片付けてくれるので、その間が「夕涼みーちゃん」の時間になるのだ。

アメリカはサマータイムがあるから、夏の日が長い。1ヶ月ほど前までは毎日一緒に夕焼けを眺め、サン・ゲイブリエル山脈の峰が桃色に染まるのを眺めた。最近は西の空に輝く一番星を指差して「金星だよ」と教え、ウィルソン山の山頂の天文台に灯る明かりを眺め、そしてコロラド通りを行き交う車のライトを追う。そんな時、僕はミーちゃんの目を見るのが好きだ。黒真珠のような艶のある大きな目に、桃色の夕焼けや、街明かりが映るのが美しい。ミーちゃんの心にはどんな世界が見えているのかな、と僕は思う。

ミーちゃんは、まるで生まれてきたばかりのこの世界が面白くて仕方ないかのように、僕に抱かれながら、右に、左に、上に、下に、忙しく首を回し、好奇心の塊のような目で何かをじっと見る。ミーちゃんは空が好きだ。木も好きだ。光るものが好きだ。動くものが好きだ。ミーちゃんが何かを観察するのに忙しい時、僕はミーちゃんの大福みたいに柔らかい頬にキスをする。時々、僕は振り返って、キッチンの窓越しにお母さんに向かってミーちゃんの手を振る。するとお母さんも優しく笑ってミーちゃんに手を振ってくれる。

そして僕は歌を歌う。ミーちゃんは歌が好きだ。僕も自分の歌にはじめてのファンがついたことが嬉しい。選曲は僕の趣味で、古い歌が多い。たとえば:

Somewhere over the rainbow, skies are blue,
And the dreams that you dare to dream really do come true.
(虹の向こうのどこかに空が青い場所があって、そこでは君が夢みたどんな夢も叶うんだ)

これは毎日必ず歌う。

On the day that you were born the angels got together,
And decided to create a dream come true.
(あなたが生まれた日に天使たちが集まって、夢を叶えようって決めたんだ)

これも定番だ。そしてもちろん、この歌だ:

I hear babies cry, I watch them grow,
They’ll learn much more than I’ll ever know.
(赤ちゃんたちが泣いている、そして育ってゆく
僕が一生で知ることよりもずっと多くを、彼女たちは知るだろう)

そう、ミーちゃんは僕が見ることのできない未来を生きる。そして僕が知り得ないこの世界の秘密を知る。ミーちゃんは僕が知ることのない星の名を知るだろう。僕が聴くことのない歌を歌うだろう。僕が見るこのとのない道を歩くだろう。ミーちゃんの時代には、空に輝く星々のどれが生命を宿しているか分かっているかもしれない。ミーちゃんの時代には、すこし頑張って貯金すれば、誰でも月や火星へ旅行に行けるようになっているかもしれない。ミーちゃんの時代には、人間が悲惨な殺し合いを止め、世界中の全ての子供が幸福に毎日を過ごすための、ごく簡単な秘密にようやく気づくかもしれない。僕は少し、ミーちゃんが羨ましくなる。

ミーちゃんは将来、何になるのだろう。僕の予想は科学者だ。ミーちゃんは生まれた時からこの世界に興味深々だった。その好奇心を大人まで持ち続ければ、きっと素晴らしい科学者になるに違いない。それとも音楽家かもしれない。ミーちゃんが歌を好きなのは間違いない。まだ音程は取れないけれども、僕が歌っている時にアーアーと声を出して一緒に歌おうとする。思い返せば、ミーちゃんが生まれた瞬間にあげた泣き声は、今まで聴いたどの音楽よりも美しい音だった。

「夕涼みーちゃん」の儀式は永遠には続かないことを、僕は理解している。だからこそ余計に、今、こうしてミーちゃんを抱いて夕焼けを眺め、歌を歌う瞬間が、幸福でたまらない。いつの日か、このアパートのベランダで「夕涼みーちゃん」をしていた幸福な時代を、懐かしく思い出す時が来るのだろうな、と僕は太陽を追って沈みゆく一番星を眺めながら思った。

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