A Day In The Life ? 一万日を生きて

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僕が生まれた日 – 1982年9月26日(日)、大阪

僕は大阪で産まれた。家は東京にあるのだが、母が僕を産むために実家に戻っていたからだ。僕は出産予定日を過ぎても母のお腹の中に居座り続けていた。居心地が良かったので出たくなかったのだろう。やっと外に出る気になったのが、予定日を一週間も過ぎた朝。陣痛が始まると、祖父は「安全運転、安全運転」などと言いながら、真っ赤な顔で車を運転して母を病院へ連れていったそうだ。母にとってはじめての子ならば、祖父母にとってもはじめての孫なのだ。

僕は胸囲よりも頭の周囲のほうが大きい、頭でっかちの赤ちゃんだった。そのでっかい頭がつかえたのか、僕は外へ出るのに相当苦労した。10時間もお腹の中で暴れていたそうだ。どでかい頭を狭いトンネルに無理やり押し通されたのだから、さぞかし母は苦しかっただろう。夕方の5時17分、僕はやっとのことで外へ這い出て、産声を上げた。看護婦さんに取り上げられてへその緒を切られ、母に挨拶をさせられた後、すぐに新生児室につれていかれたそうだ。

それが、僕のこの世界での最初の一日だった。

その後の数日

 東方の三賢者は星によってキリストの誕生を知り、その下へ馳せ参じたそうな。僕の誕生時、東方にいた三人の子煩悩/孫煩悩たちは、電話で知らせを受けるなり、特急列車に飛び乗って大阪へやってきた。

 一人目は東京にいた。大阪に着き、僕を見るなり、大喜びの父は10時間も陣痛の苦しみに耐えた妻へのいたわりを忘れ、「やったね!次は女の子ね!」と無邪気にはしゃいだ。それを聞いて母はプッツン。「次はアキラさんが産んでよ!」と怒鳴ったそうだ。母が息子へ与えた教訓:「男も出産に立ち会うべき。赤ちゃんはドコデモドアから出て来る訳ではないことを自分の目で見ておくべきだよ。」

 二人目と三人目は金沢に住む父方の祖父母。通称、金沢のおじいちゃん・おばあちゃん。工学博士で大学教授の祖父は、頭でっかちの僕を見るなり、「いっぱい勉強して博士になるのかな」と言った。一方、明治生まれの祖母は「あーら、大きなオチンチン。いっぱい子供が作れそうね」と言ったそうだ…。まったくオトナたちは、赤ん坊が言葉を解さないのをいい事に勝手な期待を吹き込むものである。

 一方、初孫が嬉しくてたまらない母方の祖父、通称大阪のおじいちゃんは、毎日仕事から飛んで帰ってきては「どや、大きなったか?」と母に聞いた。
母のツッコミ:「そんな毎日大きくなったら化け物や…。」

 やはり初孫が嬉しくてたまらない母方の祖母、通称大阪のおばあちゃんは、僕が生まれる前に山ほどオムツを縫ってくれた。生まれてからは汚れたオムツを毎日洗ってくれたそうだ。

以上の話は母が教えてくれたものだ。みんなの喜び方がそれぞれにとても彼ららしく、微笑ましい。当時の僕は寝ることと泣くこととオッパイを吸うことしか能がなかったが、まだ形を成していない僕の自我のその向こうで、みんな一心に僕の誕生を祝福してくれたのだ。そしてその後、僕を大切に大切に育ててくれた。どれだけ感謝しても足りることはない。

一万日後 – 2010年2月11日(木)、ボストン

10000th_day_morning

寝起きが悪い僕の目覚し時計の音は超特大だ。そのけたたましい音に快い眠りを妨げられた僕は、不機嫌にベットから這い出て自動的に目覚ましを止め、何も考えずにベッドに戻った。そんな時のためのスヌーズ機能。目覚しは10分間の執行猶予の後、再びけたたましい音を鳴らす。僕は観念して起き上がり、脊髄反射のみでタオルとパンツを引っつかんで風呂場へ降りていった。熱いシャワーを浴びるとようやく脳が動き出した。

部屋に戻る。母と妹からメールが来ている。母:「1万日おめでとう!」、妹:「卒業論文の摘要をあと25時間で英訳してくれぃ?。」キッチンへ行く。朝食は、ご飯、味噌汁、目玉焼き、トマトの丸かじり、紅茶。メニューは毎日変わらない。ロシア人のルームメイトが卵を6個も使った巨大な卵焼きを作っていた。コレステロール、大丈夫か?

10000th_day_breakfast

歩いて研究室へ向かう。大雪の予報は外れ、雲は街を薄く雪化粧しただけで去り、空は気持ちよく晴れていた。毎朝一番の1時間は授業のReading Assignment(読書課題)を読むことに費やす。その後、パソコンの前に座り研究を始める。無人飛行機などの自動プランニング/スケジューリングをするソフトウェアの、時間的制約条件を処理するall-pairs shortest path algorithmがうまく動かなかったバグがようやく取れた。昼に僕の研究のスポンサーであるボーイングと電話でミーティングをした後、授業へ。「法と技術と公共政策」という授業。今日の講義は、法廷における科学的証拠の認定基準を示すことになった”Daubert v. Merrell Dow Pharmaceuticals”という判例についての議論だった。

授業後、ダウンタウンで友人たちと会い、ミュージカル”Dreamgirls”を観る。数年前に公開されたビヨンセ主演の映画や一発屋芸人による「和製ビヨンセ」が記憶に新しいが、元々は30年近く前にブロードウェイで上演されたミュージカルだった。そのリバイバル・ツアーがボストンへやってきたのだ。劇の出来は素晴らしかった。とりわけ第一幕の終わり、主役のEffie(そう、ミュージカルではDeenaではなくEffieが主役である)が夢を手中に収める寸前に突然の解雇を告げられ、何もないステージの上でただ独り、切り刻まれた心を、ど太くソウルフルな声で泣き叫ぶように独唱する場面。胃を裏返しにして心を吐き出し、それを観客の一人ひとりに投げつけるような、鬼気迫る演技。劇の終わり、彼女が挨拶をすると、客は我慢できずに一斉に立ち上がり、スタンディングオベーションの拍手を捧げ、僕も当然それに加わる。

劇の後は友人と連れ立ってバーへ行き、馬鹿話に花を咲かす。話は加速度的に盛り上がり、気付けば12時を回っている。地下鉄で家に戻り、E-mailにひととおり返信をして、目覚まし時計をセットし、電気を消してベッドに潜り込んだ。

二万日後 – 2037年6月29日(月)

朝6時に目が覚める。そのくせ爽快な寝起きではない。昔はやたらと早起きの父を笑ったものだが、自分も歳を取ればそうなった。鏡を見て、その中の自分に向かい、今週も頑張るぞと言いネクタイを締める。54歳の僕。キャリアは早くも終点に近づいている。夢は形になっているか。空想は現実になっているか。木は実を結んでいるか。雨滴は川を成しているか。まだ太陽は燃えているか。

それと、僕の人生の三大目標「ハゲない、ボケない、ニオワない」、これは達成されているだろうか。

三万日後 – 2064年 11月 14日(金)

今日は何曜日だっただろうか。孫たちが次に遊びに来るのはいつだろうか。ばあさん、散歩にでも出ようや。82歳にもなると歩くだけでいい運動だ。公園の紅葉がきっと綺麗だぞ。

四万日後 – 2092年4月1日(火)

(おそらくもう、一人称で僕を語ることはできないだろう。二人称で僕に語ってくれる人も、もういないかもしれない。三人称で僕を語ってくれる人は世の中にどれくらいいるだろうか。オノマサヒロがいた世界は、オノマサヒロがいなかった世界にくらべて、確実に良いものになったと認められているだろうか。)

五万日後 – 2119年8月19日(土)

きょうも地球はひとまわり。
くるりくるりとひとまわり。
蝉の鳴き声じりじりり。
波が砕けるざんざぶり。
きょうも地球はひとまわり。
幸せのせてひとまわり。
明日はもひとつひとまわり。

日めくりカレンダーをめくる。切り離した紙に今日あったことを書き込み、「過去」と書いた箱に入れる。

妹が生まれた日。カズくんにいじめられた日。が泣いた日。はじめて学校に行った日。学級委員になった日。パンツを隠されノーパンで水泳から帰った日。新しい家に引っ越した日。眼鏡をかけた日。中学に合格した日。チコちゃんがやってきた日。金沢のおばあちゃんが死んだ日。試合に勝った日。はじめてカノジョができた日。ミーミを拾った日。ミーミが死んだ日。阪神が優勝した日。チコちゃんが死んだ日。家を出た日、海を渡った日。もう一度阪神が優勝した日。金沢のおじいちゃんが死んだ日。実験を成功させた日。論文が通った日。大阪のおじいちゃんが死んだ日。プログラムが動いた日。

日めくりカレンダーはめくられる。切り離された紙に今日あったことが書き込まれ、「過去」と書かれた箱に入れられる。

ヘチマの蔓が伸びた日。蜘蛛の巣が破れた日。川が溢れた日。爆弾が落ちた日。詩が詠まれた日。足跡が残された日。鳩が砂浜に打ち上げられた日。鐘が鳴った日。時計の電池が切れた日。風船が割れた日。友が旅立った日。星が生まれた日。星が死んだ日。月が昇った日。月が昇らなかった日。日が昇った日。日が昇らなかった日。

時間は自己相似のトポロジーを持つ。三万日の人生、二泊三日の旅、二幕三時間のミュージカル、それらの間に本質的な違いはない。過去は体験の中に、未来は夢の中にのみ存在する。未来を過去に書き換えるプロセスが「今」だ。夢を体験に変化させるプロセスが「僕」だ。

日めくりカレンダーをめくる。

僕は今、生きている。

日めくりカレンダーをめくる。

僕は今、生きている!

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