オバマ就任/アメリカが抱く価値

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T字路のオヤジ

半年ほど前だったか、ボストン中心部の目抜き通りを歩いていると、突然けたたましいクラクションが鳴り響いた。何かと思って見てみれば、野球帽を被った中年オヤジがT字路の交差点の真ん中に仁王立ちして、「T」の縦棒の道から来る車を通せんぼしていた。彼の前にできた車の列は、五台、十台と、みるみる長くなってゆく。訳も分からず道を塞がれ苛立った運転手たちは、バーバーとクラクションを鳴らしながら、窓から身を乗り出し、「どきやがれクソ野郎!」などと大声で怒鳴る。それでもオヤジは平然と通せんぼを続けていた。

このオヤジは何をしているんだ。疑問に思いながら、彼が大声で喚いて指さす方向を見て、僕は彼の目的を理解した。「T」の横棒の道の向こうから消防車がやって来るのだ。消防車に道を空けるために、彼は車を通せんぼしていたらしい。

とはいえ、消防車は未だサイレンの音も聞こえづらいほどの遠くにいる。こんな早くから道を空ける必要はあるのだろうか。それに、消防車が見えていない車の運転手たちには、このオヤジの良心も意図も分かる筈がない。彼らにしてみれば、このオヤジは単なる迷惑以外の何物でもないのだ。

暫くして消防車はT字路を通過し、それに向かってオヤジは嬉しそうに”Go! Go!”と叫んで手を振った。程なくして彼は封鎖を解いた。なおも運転手たちから罵声を浴びせられ続けながらも、オヤジは「いいことをしたぜ」と言わんばかりの満足そうな顔をして、T字路から歩み去っていった。

そのオヤジをみて、いかにもアメリカ人らしいな、と僕は思った。

アメリカが抱く価値

自由、平等、民主主義、そして、正義。そんな、抽象的で漠然とした、ワンフレーズで表される価値を、アメリカは愚直なまでに固く信じている。正しいと信じる価値の実現のために、真っ直ぐに、時には盲目的に行動し、結果、T字路のオヤジのように、周囲に多大な迷惑をかけることも度々である。だからアメリカは嫌われる。そして僕もアメリカに住むまでは、この国のそんな独りよがりな面が大嫌いだった。

しかし、この国に住んで、実直なアメリカ人たちと直に接し、加えて巨視的視点も持つようになって、アメリカのそんな面も、だんだんと好意的に受け止められるようになってきた。

アメリカ人が盲目的に連呼する「自由」や「正義」の定義は漠としていて、個人によっても、民族によっても意味付けは異なる。自分が定義した「自由」や「正義」を他人にまで押し売りすることが、アメリカの間違いと言えよう。とはいえ、この世の誰が不自由を望もうか。誰が悪を望もうか。誰が被抑圧を望み、誰が被差別を望もうか。確かにアメリカは視野が狭くオツムが弱いかもしれないけれども、彼らが求める価値は、抽象的なレベルにおいては、人類に普遍的なものではなかろうか。

そして最も大事なのは、アメリカという社会は自浄作用を持っている、ということだ。日本が戦争に負けて初めて自らの間違いに気付いたのと比較して欲しい。アメリカは、とても長い時間がかかるけれども、多様な社会の中での葛藤を通して、自らの間違いや矛盾に気付き、自らを正し、そしてより普遍的な「自由」や「正義」に近づいてゆく力を持っている。

アメリカ社会の自浄作用

人種差別がその好例である。1796年のアメリカ独立宣言は、”all Men are created equal” (全ての人間は生まれながらにして平等である)と「平等」の理念を高々と謳い上げたが、一方で奴隷制度は疑いなく続けられていた。白人本位の、矛盾を孕んだ「平等」だった。

奴隷制度自体は1862年に廃止されたが、人種差別は、人類が宇宙に飛び出した1960年代になっても続いていた。南部の多くの州では、レストランやバスに白人用座席と黒人用座席があり、黒人の選挙権は間接的に制限され、人種間の結婚やセックスは法律によって禁止されていた。

この状況を劇的に改善させたのが、キング牧師の非暴力抵抗運動に代表される公民権運動である。運動には黒人だけではなく、多くのリベラルな白人も加わった。キング牧師は言った。

“Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God’s children.”

今こそ民主主義の約束を果たすべき時だ。今こそ暗く荒涼とした人種隔離の谷から立ち上がり、人種平等の正義へと続く太陽に照らされた道を往く時だ。今こそ我々の国を人種差別に汚された不正義の流砂の中から救い出し、友愛という堅固な礎石の上に据える時だ。今こそ全ての神の子たちのために、正義を実現する時なのだ。

そして1964年、公民権法が制定され、黒人たちは法律の上での自由、平等を勝ち取った。それまでには、独立宣言から実に170年の時を要した。しかし、アメリカは外国からの圧力によってではなく、自己の葛藤を通してこれを実現したことに価値がある。アメリカは白人本位で定義された「自由」「平等」の矛盾に自ら気付き、より普遍的な「自由」「平等」の達成に向けて、真っ直ぐに行動したのだった。

抽象的だけれども建国以来一貫して信じる価値、その価値の実現のために真っ直ぐに行動する気概、そして自らの誤りを正す自浄作用。この三つが、アメリカの強さの源ではなかろうか。

そして、オバマ就任

そして先週、黒人の父と白人の母を持つバラック・オバマが、たった四十年前までは公然と人種差別をしていたこの国の大統領に就任した。これを歴史的事件と呼ばずに何と呼ぼう。

しかし、オバマが大統領になった価値は、彼が黒人(と自らをidentifyしている)ということだけではない。

オバマは就任早々、グアンタナモ強制収容所の閉鎖を指示した。グアンタナモでは、「テロ容疑者」と一方的に決め付けられた人たちが、裁判を受けることも出来ずに長期間抑留され、公然と拷問が行われていた。「自由」「平等」を掲げるアメリカが抱えた、大きな矛盾だった。

彼はまた、イラクからの「責任ある方法」での撤退計画の策定を指示した。泥沼化したイラク戦争のそもそもの目的は、フセイン政権が持つとされた「大量破壊兵器」の脅威から世界を守ることだった。しかし結局、そんな兵器はひとかけらも見つからなかった。アメリカの「正義」に大きな疑問符が付いた。

オバマの大統領当選を後押ししたのは、そんな自らの間違いや矛盾を認め、それを正そうとするアメリカ社会の自浄作用だった。アメリカ社会は、より普遍的な「自由」「平等」「民主主義」「正義」を達成するために必要な「チェンジ」を、オバマに託したのだった。

人種差別はまだアメリカから消えたわけでは決してない。外交政策は未だ矛盾に満ちている。しかし、アメリカは少しずつ自らの間違い正し、矛盾を解消しながら、普遍的な「自由」「平等」「民主主義」「正義」という目的地に向けて、着実に前へ歩を進めているのだ。

日本が抱く価値とは?

さて、目を転じて、我が日本を見れば、どうか。

一刻の猶予もないはずの深刻な経済危機の真っ只中にあって、与党は人気取りのための短絡的なバラマキ政策を悠長に推し進め、野党は無意味な審議拒否を繰り返して時間稼ぎに心血を注ぐ。マスコミは首相の漢字の読み間違いの粗探しに精を出し、世論は首相自信が給付金を受け取るべきかとうかという、誰の為にもならない議論に時間を空費する。

政治の目的は票稼ぎ。マスコミの目的は視聴率稼ぎ。では国のビジョンは何か。我々はどこへ向かって歩を進めているのか。目隠しをされた人間が、音が鳴る方へ、香りのする方へ、行き当たりばったりに右往左往しているようにしか思えない。

アメリカが「自由」「平等」「民主主義」「正義」という分かりやすい価値を信じ、それに向かって前へ進むように、日本も何か目標とする価値を持てないか。「繁栄」「平和」「幸福」そんな七夕の短冊に書くようなありきたりな言葉でいい。重要なのは、目的地をしっかりと見据えて、前へ歩を進めることなのだ。

そしてその上で必要になるものが、消防車を通すために車を止めたオヤジのように、自分の信じる価値を実現するために非難を怖れずに実直に行動する気概と、過去の反省に学び、自らの間違いを正し、より普遍的な価値の実現へと向かう社会の自浄作用である。

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