セントロの女の子たち

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学会が終わり、研究室のお金で泊まっていたカンクンのリゾートホテルを追い出され、セントロ(ダウンタウン)の安宿に移った。高級リゾートホテルが並ぶゾーンは、英語が通じるし、物価も高いし、マクドナルド、フーターズ、すっかりアメリカナイズされていたが、バスで20分ほどしか離れていないここセントロはメキシコ人の街だ。メキシコ本来の、気取らない、陽気な生活が、ここにはある。

しかし、アメリカナイズされてはいないといっても、セントロにも僕のような外国人観光客はたくさんいて、メキシコ人たちは彼ら相手に商売を営む。僕らのバカンスが、彼らの生活を支える仕事になるのだ。そして街のあちこちで、若い子たちが一生懸命に、そして元気に働いているのに出会った。

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どこで夕食を食べようかと友達とあちこちのレストランを物色していたところ、何の変哲もない食堂の間口で、背の低いかわいらしい女の子が客引きをしているのに呼び止められた。拙い英語で「フィッシュ・タコスがおいしいですよ」などと言うのが可愛く、また少し上目遣いの笑い方も可愛らしい。彼女のスマイルに負けてその店に入ることに決定。「看板娘がいる店は強いよねー」などと鼻の下を伸ばして話す男二人を、一緒にいた女友達は呆れ顔で見ていた。

彼女の名はマリアといい、20歳だそうだが、小さい背丈と垢抜けない身なりのせいで高校生くらいに見える。レストランは家族経営で、彼女はウエイトレスと客引きの一人二役で大忙しだ。しかしどんなに忙しくても、客に呼ばれればあの上目遣いのスマイルを忘れない。客と話す時は照れながら小声で話すのに、キッチンにいる母親を呼ぶ時はびっくりするほどの大声で「ママ!」と叫ぶのが面白い。

彼女が注文を取りに来たとき、どこから来たの、と僕らに聞き、日本で育って今はアメリカで勉強している、と答えた。色んな国に行けていいな、私は20年間ずっとメキシコよ、と言い、また上目遣いに笑った。そのときだけ、笑顔の奥に少し陰が見えた。

友達がトイレに立つ時、「『トイレはどこですか』はスペイン語で何て言うの?」と彼女に聞いた。すると彼女は、紙ナプキンに”¿Donde está el baño?”と書いて、テーブルに持ってきてくれた。グラシアス、と言うと、「どういたしまして」と、また上目遣いに笑ってくれた。その笑顔には少しの陰もなかった。

セントロで泊まった安宿は、「カーサ吉田」という、日本人バックパッカーが集まる宿だ。どうしてメキシコまで行って日本人宿なんだ、と思われるかもしれないが、この方が抜群に安全度が高いし(わざわざ日本人旅行客がスリなどしない)、情報交換もしやすい。

宿に着き、チャイムを押す。従業員も日本人だと思い込んでいたが、出てきたのはメキシコ人の顔をした、中学生くらいの、小太りの女の子だった。慌ててスペイン語に切り替えて「空き部屋はある?」と聞くと、彼女は流暢な日本語で「はい、ありますよ」と答えた。

聞いたところ、彼女はハーフで、お父さんが日本人らしい。小さいのにしっかりしていて、宿の門限やその他のルール、トイレ、キッチンの場所などを、はきはきとした日本語で説明してくれた。家族経営のこの宿では、掃除が彼女の役目のようで、デッキブラシを持ってテラスを掃き、椅子の上に立って天井の埃を払っていた。

宿は一階が客室、二階が家族の部屋になっていて、彼女は仕事が暇になると、二階へ上がっていく。時折二階から大音量で音楽を流れてきて、彼女がそれに合わせて歌うのが聞こえる。「呼んでいる胸のどこか奥で…」彼女は「千と千尋」が好きなようだ。一階ではしっかり者の彼女も、二階の自分の部屋に篭るとき、普通の中学生の女の子に戻る。

キューバ行きの航空券を買うために、目抜き通りを歩いてキューバ航空のオフィスに向かっていた途中、旅行会社の客引きをする女の子が “Flight to Cuba?”と呼ぶのが聞こえ、丁度良いと足を止めた。モスグリーンのキャミソールにショートパンツ、いかにもメキシコ人らしい開放感のある、年頃の子だった。「どうして僕がキューバ行きの航空券を探していると分かったの?」と聞くと、「日本人はなぜかみんなキューバに行きたがるのよ」と、少々訛りのある英語で答えた。「どうしてなんだろう?」と聞くと、「さあ、あなただって行きたいんでしょ?」と言って、カラカラと笑った。気取らず、飾らない、爽やかな笑い方だった。「キューバは綺麗な場所だよ、私は行ったことがないけれども…。」

値段交渉は少々面倒で、彼女が僕の条件を電話でエージェントに伝え、そのエージェントが航空会社と交渉した後、電話を返してくる、といった手順だった。19日は空きがない、18日ではどうか、いや早すぎる、20日はどうか、それだと高くなる、ディスカウントは無いか…。そんな交渉を何往復もする度にエージェントからの返事を待たなくてはいけなかったので、その暇にいろいろと彼女と話しをした。

彼女の名はアレハンドラ(アレクサンドラのスペイン語名)と言い、メキシコシティー郊外の小さな町から来たそうだ。メキシコシティーは人が多すぎて嫌いだ、と言った。三年前にカンクンに来て、昼は歌とダンスの学校に通い、夜はこの旅行会社で働いてお金を稼いでいるそうだ。僕がボストンに住んでいると言うと、ニューヨークに近いことを羨んだ。ぜひブロードウェーで「オペラ座の怪人」を観てみたいそうだ。「ニューヨーク、行きたいのだけれども、高いから…」

ようやく交渉がまとまったのは店仕舞いの時間で、その後に彼女と近くの店にビールを飲みに行った。若いと思っていたが、歳を聞くと、僕と同い年だった。ダンス学校の卒業はいつなのかと聞くと、実は3ヶ月前から母が病気で、看病のために学校を休んでいるのだと言った。

そして、彼女の両親の素敵な馴れ初めを聞かせてくれた。父が歌手で、地元のラジオで歌っていたのを母が聴いて惚れ込み、友達のつてを辿って彼のマネージャーに取り次いでもらって、知り合ったそうだ。父が歌うのを聴いて育ったから、自分も歌手になりたいのだ、と言った。

旅行会社という商売柄か、日本語に興味があって、「日本語のアルファベットを教えてくれ」と言う。テーブルの紙ナプキンにカタカナの五十音表を書いてやると、それを使って僕のガイドブックの「レ・ス・ト・ラ・ン」という文字を読み、「分かった、これってrestaurantの意味だよね?」と、無邪気に喜んだ。「この難しい文字たちは何?」と聞かれ、「それはカンジだ」と言うと、それも教えてくれという。「千文字もあるから書ききれない…」と言い、日、月、山、川、火、人の六文字だけをナプキンに書いてやった。その中の「月」という字を指でなぞり、「私は月が好きなの」と言って、耳にぶら下げている月の形のピアスを嬉しそうに見せた。

時計を見ると宿の門限を過ぎていた。店を出て、「お母さんをお大事に」「キューバ楽しんできて」と別れた。素直で爽やかな、いい子だった。

彼女は望み通り歌手になれるのだろうか。歌手を志す人にとって26歳という年齢は決して若くはなかろうし、お金にも恵まれてはいない。その上、母親のこともある。正直、道は険しいだろう。しかし彼女が自分の夢を語る時、微塵の悲壮感もなく、「私は歌うのが好き」と無邪気に言う時、本当に心からそう言っているのだと思った。是非彼女には夢を叶えて欲しいけれども、例えもし叶わなかったとしても、きっと素敵な人生が彼女を待っているだろうと思う。

以前の日記でも書いたが、旅を彩るのは、こうした一期一会の数々だ。遺跡や観光地巡りが旅の縦糸ならば、一期一会はそれに織り込まれてゆく色とりどりの横糸だ。今朝、長居をしてしまったカンクンを発ち、西へ向かう長距離バスの中でこの日記を書いている。まだ旅は先が長い。きっと素敵な一期一会が、たくさん待っている。

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5 thoughts on “セントロの女の子たち

  1. 失礼します。初めてコメントします。
    異国で聴く「千と千尋の曲」は、僕の頭の中でもとても愛おしくちょっぴり切なく聴こえます。
    良い旅を!!

  2. おにぎりしんごさん>はじめまして、コメントありがとうございます。ここメキシコでも日本のアニメは人気があるようですよ。

  3. ボストンでは昨日T-BOLANの「マリア」がスペイン語版でYoutubeに上がってるのを発見して街中が興奮してるところだよ。Bye For Now☆

  4. こちらは連日マイナス10℃、メキシコにいたのが夢のようです。
    旅をして見知らぬ人たちと楽しいひとときを過ごす、僕も大好きですが、最近なぜか、この人とはもう一生会うことはないんだろうなってことを考えてしまって悲しくなったりします。セントロのマリアとまたどこかで会うのには、世界は広すぎる…

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