消費、カオナシ、かめはめ波

Posted on Posted in アメリカ、アメリカ

Costcoという、「いかにもアメリカ!」という感じの巨大なショッピングセンターを見物してまいりました。

Costco at Boston

店というよりも、倉庫。信じられないくらいの量を、信じられないくらいの安値でまとめ売りします。例えば・・・

  • ミネラルウォーター: 35本で5ドル (1ドル≒105円)
  • パスタ: 4kgで7ドル
  • 豚肉: 3kgで15ドル

まずもって単位が違います。肉はグラムで量るものでしょう。

まとめ売りは食料品ばかりではありません。例えば・・・

  • スーツケース: 3個で189.99ドル
  • コードレスフォン: 5個で99.99ドル

日本だと、そもそも5つ以上の部屋がある家に住める人なんて稀なのに・・・。

「人間はここまで太れるのか」と感心してしまうくらいに太ったアメリカ人が、スナック、冷凍食品やダイエット・コークを山のように積んだショッピング・カートを押していました。それを見てふと連想してしまったのは、手から金塊を出してあらゆるものを食いまくる、肥大化したカオナシです。ダミ声で「千を出せ」なんて言ってそう。湯婆婆にカメハメ波でやっつけてもらいましょう。

行けども行けども果てのない商品砂漠を彷徨っていると、面白い光景に出会いました。キリスト教のシスター(修道女)が、修道服を着てショッピングカートを押していたのです。思わず写真を撮ってしまいました。

sisters shoppoing at costco

なんと世俗的な神の僕たち(笑) いやいや、こんな場所でも修道着を脱がないのだから、それだけ敬虔なのだと捉えるべきでしょうか。

大量に買った商品は、ショッピングカートに積んだまま駐車場まで運び、車のトランクに満載して自宅へレッツ・ゴー。これぞまさに消費社会です。生産に必要な労力はすべて一枚のクレジットカードに集約され、消費に思考は求められない。コミュニケーションは商品のラベルを通してのみ行われ、価値は全てドルという一次元座標に投射される。

もちろん、これを悪だと安易に決め付けるつもりは決してありません。それに、ミネラルウォーターの35本パックを購入した僕も、しっかりと消費社会の恩恵を受けて生きているわけです。しかし、一歩引いて冷めた目で観察すると、「気味が悪い」と、ふと感じてしまうことがあります。

さて、一通りアメリカの悪口を言ったところで、わが国・日本を振り返ってみて、果たしてどうでしょうか・・・。

[追記] 友達の書き込みによると、日本にもCostcoが出店しているそうです。そして「コストコ」と読むそうな。なんだか響きがかわいらしいですよね、「コストコ、ハム太郎」みたいな感じで(笑) 英語の読みは「スコ」のような感じで、最初の「コ」にアクセントです。

8 thoughts on “消費、カオナシ、かめはめ波

  1. コストコ!
    以前、コストコ会員の友人に、多摩の店舗を案内してもらったことがあるよ。
    スーパーマーケットというか、もう、テーマパークみたいだね。
    なんだか興奮してしまって、洗剤やら缶詰やらたんまり買い込んだのはいいが、一人暮らしの住まいに収納できなくて困った記憶があります。(笑)

  2. ゆみこ> へー、costcoって日本にもあるんだ!しかも日本語では「コストコ」なんだ、なんだか響きがかわいいね(笑)やーしかし日本にもどんどんアメリカが入って行くなー、俺が日本に帰る頃には、日本もアメリカと変わりなくなってるかもね。

  3. 近所にコストコあるよ?
    かなり常連☆
    前に日記にも書いたし
    哀川翔に会ったのもそこ。

  4. めい>なにー、costcoはそんなに日本でもはやっていたのかー、知らなかった。しかし、上でも書いたけど、日本語の読みが「コストコ」になるとは!なんだかcostcoのイメージが急にかわいらしくなるね(笑)
    英語では、「スコ」あるいは「スッコ」のように読みます。

  5. シスター、おもしろいですね。
    しかし、あの質であの値段ということは、他の店は如何に高い値で売っているかが露呈しますね。肉の質も良かったですし。
    フォークリフトからそのまま下ろして、そのままの姿で売っているところは見習うべきefficiencyではないかとも思います。日本のコンビニのようにウマく陳列して客を引くのも一つの手ですが、生活必需品は「カ」スコのように安さ重視で日本も売ってほしいものです。

  6. > 他の店は如何に高い値で売っているかが露呈しますね

    これはどうだろうな、costcoで安く商品が売られているということは、本来の小売で必要だった何らかの手間を省いているだけであって、それをもって日本のコンビニが高い値をふっかけていると言うことはできないと思うよ。

    costcoのモデルには、本来小売が負担するべきだった労働や設備投資を、消費者に負担させることでコストを省いている面が多分にあります。その主たるものは、輸送と保管。消費者は郊外まで車を運転し、自分で商品を家まで持って帰らねばならない。その手間に時給1,000円の人件費を加えたら?運搬に使った車の減価償却を加えたら?また、costcoで大量に買った品物は、消費者が保管しなくてはならない。保管に必要なスペース分の不動産の価値を加えたら?

    これらのコストはレシートには現れないから、その分消費者は「得をしている」と思ってしまう。けれども実際には、消費者がした労働に対する給料や、消費者が所有する設備を使った使用料が、コンビニの値段から引かれていると考えるのが、正しいのではないかと思います。

    もちろん、これらの労働力や設備は消費者がマージンとして持っていたものだから、costcoは世の中に余っている資源の効率的な利用を促している、とも取れる。しかし、次のような、非常に極端なケースを考えてみればどうだろうか。つまり、街に一般の小売店がなく、消費者は毎週末、costcoに買い物にいかなくてはいけない場合、消費者は各々が、マイカーと、大きな冷蔵庫を持たなくてはならない。それよりも、小売価格が高くても、車も大きな冷蔵庫もいらない街のほうが、消費者の負担も小さいのではなかろうか。また、社会全体の効率を考えた場合も、個々人がマイカーで遠くまで買い物に行くよりも、トラックで近所の小売店まで運んできたほうが、効率はいいのではなかろうか。

    なんだかいっぱい書いてしまったけど、本文で書いたとおり、「価値が全てドルという一次元座標に投射される」ことの弊害も考えなくてはいけないね。

  7. たしかに、そのとおりですね。
    ただ、僕が思った/言いたかったのは、生活必需品であるならば、日本でよく見られる過剰包装や過剰な「きれいさ」を削減することで小売店でも値段を削減できるのではないか、ということです。日本ではCostcoのようにマイカーで大量購入、という形態が大都市成り立つとはあまり思っていません。けれども、日本のあのきれいさを過剰だと思っている人は少なからずいると思いますし、それをなくすことで価格が低下するのであれば喜ばしいと思う人も多いのではないか。いまの日本のコンビニやスーパーのきれいさを廃止しなくとも、そういう方向性で攻める小売店があってもいいのではないか、と思いました。

    ちょっと論点ずれましたかね。。。

    ドル座標への投影に疑問視しつつも、自分の研究もドルで換算されている今の立場は、複雑ですね。
    最近、マルクスを読みたいと思っています。ナショナリズムとかを研究している人も、「資本論」に立ち戻るという話をきいたことがあります。

  8. こばこば>そうねー、日本は何かにつけ細かすぎると感じることはあるね。特に適当至上主義の俺には窮屈。まーしかし、過剰包装と1分も狂わない新幹線の運行は、通じるところもあるような気もする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です