Vietnam (3) 垢抜けないリゾートにて、グローバル化を考える

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前回よりつづき)

ベトナムの急速な経済発展の中心都市・サイゴンから車で僅か4時間の位置にあっては、垢抜けないリゾート・Mui Neも、いつまでも垢抜けないままでは許されないだろう。あと数年もすれば、住民はみんな英語を話すようになり、お椀舟やレンタル・バイクの料金もシステム化され、漁村の収入源も魚醤作りから観光業に変わるだろう。僕らとお椀舟に同乗した二人のちびっ子も、お父さんのように漁師になることはないのかもしれない。

先進国からベトナムへやって来る旅人は、自分の国にはもう見当たらない、垢抜けない素朴さに浸っては郷愁にかられ、「将来もこの素朴さを失わないで 欲しい」などと願う。一方で、しつこい物売りを罵倒して追い払っては、「この国も資本主義に毒されたか」などと嘆く。しかし、そんな願いや嘆きは、僕ら金持ち旅行者のわがままでしかない。ベトナム人の年収にも相当するような大金を財布に入れて彼らの国を踏み荒らし、各地で米ドル紙幣をばら撒きながら、彼ら に対しては資本主義に毒されるな、貧しいままでいろ、と言うのは、なんとも矛盾した要求である。彼らが一度、外の世界を知ってしまった以上、より多くの富 を得ようとするのは、至極当たり前の行為である。そして、彼らの村へ「外の世界」を持ち込んだのは、他でもない、われわれ旅行者だ。Mui Neが経験している変化は、グローバル化する世界の、暖流と寒流が交じり合う渦のダイナミクスであり、それを媒介するのが、我々先進国の旅行者なのだ。仕切りを取り払えば、自然の原理に従って、熱水は冷水と混じる。それを良しとしないならば、門を閉ざし、壁で囲い込むしかないのだ。


(↑Mui Neではなぜか、ロシア語の看板を多く見かけた。)

では、このままグローバル化に任せれば、Mui Neの素朴さは失われ、先進国と何も変わらない味っけない街になってしまうか。同じように、じきに世界中の独自の文化は淘汰され、全ては西欧化されるの か。そんなことはない、と僕は思う。文化とは、世界の歴史の大きな流れの中で、同化と分化が同時的に進行するものだからだ。

例えば、ベトナム料理だ。ベトナムの料理はおいしい。決して外れがない。「上海の西、デリーの東」(素樹文生著、新潮文庫)のなかで著者は、ベトナ ムの料理がおいしいのは、中国とフランスという、世界の食の二大中心に支配された歴史を持つことと無縁ではないだろう、と書いている。ベトナム料理がフラ ンスから受けた「同化」の結果のひとつが、パンだ。ベトナムのパンは細長いフランス式で、中が雲のようにふんわりしている。粉を固めただけのようなアメリ カのパンとは、文字通り雲泥の差だ。このフランスパンに、ハムや香菜などを挟んだベトナム式サンドイッチがベトナム庶民の定番で、街中の屋台で売ってお り、とてもおいしい。同化から発生した分化が、新しい庶民の味を産んだのだ。

かつてベトナム語は、漢字で表記された。しかし現代ベトナム語では、ローマ字にアクセント記号を付加したものが用いられる。ローマ字とは、3000 年前はイタリア半島中西部に住む一部族が使う文字に過ぎなかったものが、古代ローマ帝国の征服と同化の過程によってヨーロッパに広められたものだ。ローマ に支配され、元来の言語を失いラテン語圏に同化されたイタリア、フランス、スペイン、ルーマニア等のヨーロッパ各国は、その後2000年の間にラテン語を 基にして独自の言語を分化させ、現在のイタリア語、フランス語、スペイン語、ルーマニア語を形成した。そしてそれらの言語は、後に西欧列強の植民地支配に よりさらに広い領域へと伝えられ、ローマ字のアルファベットも世界に広まった。

ローマ帝国末期の最大のライバル、ササン朝ペルシアの遺跡から出土した壁画に、ある撥弦楽器が描かれていた。その楽器は、インドに伝わってシタール となり、中国ではピーパー、日本では琵琶となった。一方、それは中東でも独自の発展を続け、ウードと呼ばれるようになった。ウマイア朝のスペイン征服に よって、それはヨーロッパにも伝えられ、現在のギターの元となった。800年後、スペイン人がレコンキスタでイスラム勢力を駆逐した後、その勢いで南米を 征服したとき、彼らはキリスト教と一緒に、ギターも南米に持ち込んだ。アンデスに元々あったケーナなどの楽器は、西洋音階を取り入れてギターとアンサンブルし、現在のアンデス音楽「フォルクローレ」を産み出した。「コンドルは飛んでいく」の悲しくも大らかな調べは、あたかもギターが辿ってきた、人類の征服 し征服されの歴史を悠々と語っているようである。一方、イギリスからやってきたアメリカ人は、ギターに電気を流した。それは、奴隷としてアメリカへ連れて 来られたアフリカ人のリズムを取り入れてロックを産み出し、電波に乗って世界中に再輸出された。こうしてペルシア由来の撥弦楽器は、同化と分化の過程で世 界中の音楽をその胴体に飲み込んで、世界を一周したのだ。

文化の同化と分化は、もちろん日本でも起きている。日本はすっかりアメリカナイズされた、と嘆く人がいるが、そんなことはない。自動車社会になった あと、日本人は正月に神社で車をお祓いするという奇妙な習慣を始めた。和式便所が洋式にとって代わられたのち、日本人は「お尻洗浄」という不思議な機能を付け加えた。パン食がすっかり普及したら、日本人はその中にあんこやカレーを詰め込んだ。どれも皆、アメリカにはない文化だ。

(↑ 上:ムイネーの朝  下:ムイネーの夜)

このように、いつの時代、いかなる場所でも、文化は歴史の流れに乗って拡散し、現地の文化を駆逐し、そして同化する。しかし同時に必ず、駆逐されたはずの文化は形を変えて新しい文化の中に忍び込み、新しい枝分かれを作ってゆく。

だからといって僕は、グローバル化万歳南無阿弥陀仏、地域固有の文化など消えてしまえアーメン、などと言っているのでは、断じてない。僕が世界のあちこちで出会った色鮮やかな音や形や言葉たちが消えゆくのは、旅行の写真を失くしてしまうようで、この上なく寂しい。自分を育ててくれた日本の文化が色褪せるのは、もっと悲しい。しかし、僕の郷愁などお構いなしに、グローバル化はこれからも確実に進行するだろう。一方で、世界各地で固有の文化を残そうという運動が繰り広げられている。この二つのベクトルが衝突し、融合する時、新しい文化が生まれるのだ。グローバル化と同様に、それへの抵抗も必然であり、ふたつの必然が出会う偶然が、新たな必然の発端となるのだ。

僕は、グローバル化が世界を飲み込む前に、世界の今の形をこの目で見たいと旅を続ける。その一方で、その旅が媒介するグローバル化によって、これからどんな新しい形が産まれてくるのだろうと、楽しみに未来を待っている。


固有文化の喪失は、「グローバル化」のほんの一端に過ぎない。近年盛んに議論される「グローバル化」とは、貧困、搾取、開発、環境破壊、疫病の流行などを含んだ、もっともっと規模の大きい問題であることを、最後に付け加えておく。

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