夏の終わりの Saturday in the Park

Posted on Posted in 日々徒然

水曜日、二週間ぶりにボストンに戻ると、早くも紅葉が始まっていた。札幌と同じ緯度にあるボストンでは、夏は遅く来て早く去る。

僕が留守の間、ボストンはだいぶ冷えたらしいが、今週末は暑さが戻った。もっとも、ボストニアンが言う「暑さ」は、東京の「暑さ」とは全く違う。日差しは強いけれども風はさわやか。人々は冷房の効きすぎた屋内から、通りへ、公園へ、お日様を浴びに出てくる。

newbury.jpg
(↑ Newbury St.)

そんなわけで、久々に暇な週末を楽しみに、街へ散歩に出た。自宅の目の前を流れるチャールズ川を渡り、ボストンで唯一のショッピング街・NewburySt.に沿って、ボストンの中心にあるPublic Gardenへ。日比谷公園の半分ほど敷地に、芝生があって木があって、銅像があって噴水があり、池があってカモがいる、そんな、アメリカのどこの街にもあるような公園が、Public Gardenだ。

面積はNew Yorkのセントラルパークの30分の1にも満たないが、歴史ならばこっちの方が長いぞ、というのがボストニアン達の自慢。そう、ボストンは何かとNYに対抗意識を燃やすのだが、規模ではどうにも勝てっこない。そこで、何でも大きいことを自慢するあちら様に対して、こちらは何でも古いことを自慢にする。全米最古の地下鉄、大リーグ最古の野球場、全米最古の公共図書館、そんな具合だ。

自転車を押して、Public Gardenに入る。冬は閑散とするこの公園も、夏の休日は太陽と老若男女で溢れている。ストリート・ミュージシャンの歌をBGMに、徒党を組んでそぞろ歩きする観光客、芝生で日光浴を楽しむカップル、子供の写真を撮るのに忙しい親たち、犬を散歩させる飼い主たち、あるいは飼い主を散歩させる犬たち。

publicGarden2.jpg

白いふわふわの毛をした大きな犬が、通りかかったミニチュア・ダックスに突進し、紐がベンチに絡まる。たちまち二匹のマスコットは、微笑ましい仕草に足を止めた通行人たちに囲まれる。ダックス君は尻尾を股の間に挟み、びくびくしながら白い犬に近づく。白い犬がペロリとダックス君の鼻を舐めると、びっくりして後ずさりする。ダックス君本人は必死なのだろうが、通行人は笑うばかりで何も助けてくれない。肝心の飼い主も、向こうの飼い主とお喋りに夢中で相手にしてくれない。喋ってないで助けてよ!そんなダックス君の文句が聞こえてきそうだ。

スペイン語を喋る二人が、池を渡る橋の上で写真を取っている。一人は腰が曲がったおばあさん、もう一人はその娘だろうか。娘に肩を抱かれたおばあさんが、この上なく嬉しそうな顔をしている。娘は故国を離れ、アメリカへ出稼ぎに出て10年。ようやく親を呼び寄せるお金も貯まり、涙の再開をした後、初めての休日に、母親にボストンを案内している。そんなありきたりな物語を造って、彼女たちに当てがってみる。

噴水前で写真を撮る新郎新婦の横を通り過ぎ、池の端のベンチに腰を下ろす。近くではギターの弾き語りが延々と続く。隣のベンチに子連れの親子がやってきて一服する。しかしベンチなんて疲れた大人のもの。子供たちはそんな退屈な場所にじっとしていられない。親の膝から滑り降りて、よちよちと道を歩き、ギターを弾くお兄さんを下から覗き込む。彼はコーラスの途中で歌を止め、ピックを持ったまま子供に手を振る。すると子供は嬉しそうな顔をして親のところに戻ってくる。

20070902135559.jpg

乳母車をよちよちと押して歩く三歳くらいの女の子と、妙に目が合った。彼女が三度目にこっちを振り向いたときに手を振ると、四度目に振り向いたときに手を振り返してくれた。

知らない曲のギターの弾き語りは、どれも同じに聞こえてしまう。一度だけ、知っている曲が流れる。Pink Floyd の “Wish You Were Here”. ついつい歌ってしまうのが僕の性分。気付くと、隣のおじさんも鼻歌を鳴らしている。

喉が渇いたので、再び自転車を押して、公園の隣のStarbucks Cafeに向かう。カメラマンがまだ花嫁を追いかけている。その花嫁は少し疲れ気味だ。アイスコーヒーを買ったのち、公園に戻る。

この公園のマイナーな名物が、「カモさんお通り」の親子カモの像。母ガモが、元気がいい子ガモを8匹、連れて歩いている像だ。母ガモが高さ70cmくらい、子ガモが30cmくらい。要は、子供がまたがるのに丁度いい大きさ。こんなものが公園にあれば、使われ方は自ずと決まってくる。子供がカモにまたがってはしゃぎ、親はそれを写真に収めて喜ぶのだ。

Make_way_for_ducklings_statue.jpg

子供が4、5人、連なってカモにまたがる。先頭の母ガモにまたがった坊やは得意げだ。後ろを向いて、子分たちに、「俺についてこい」と威張る。その親たちが、どのようなアングルで写真を撮れば我が子がかわいく写せるか、思案に暮れている。しかし、1分もじっとしていられないのが子供というもの。いいアングルが見つかった頃には、子供たちはその中にはいない。

2、3歳の坊やが、お父さんに肩車をされてやってくる。恐ろしく眼力が強い子で、まばたきひとつせずに子ガモの像の一羽を睨んでいる。彼が両手でお父さんの頭をモミモミしたのは「下ろして」の合図だったらしい。下ろされる間も常に視線はロック・オン。地面に足が着くと、睨んでいたカモの像を目がけてガニ股で突進し、満足そうにまたがった。そろそろ行くぞ、と父親が近づくと、彼はガニ股でよちよちと逃げる。それを父親は後ろからひょいと抱き上げ、肩に乗せて、歩み去っていった。

しかし、こうやってアジア人の男が独りで30分もベンチに居座り、子供を見ながらニヤニヤしているのはいかにも怪しい。間違いなく誘拐犯だ。そろそろ行くか。帰って片付ける仕事がいくつかある。読むべき論文も何本かある。来週から学期が始まるから、取る授業も考えなくては。そんなことを考え、溜息をつきつつ、自転車を押して公園の出口に向かい、その去り際に、太陽と人で溢れた公園を振り返って見て、ああ、結局幸せってこういうものなのかもしれないな、などとジジくさいことを想ってみたりした、夏の終わりの、Saturday in the Park.

One thought on “夏の終わりの Saturday in the Park

  1. ______ ___ What i do not
    realize is actually how you are now not actually a lot
    more neatly-appreciated than you may be right now.
    You’re so intelligent. You realize therefore
    significantly in relation to this matter, made me in my opinion consider it from so
    many varied angles. Its like men and women are not fascinated except it is something to do with Girl gaga!
    Your own stuffs great. Always deal with it up! ______ ___

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です