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「新・世界の七不思議」なるものが発表されたんだとか。「清水寺、無念の落選」とYahoo Newsに出ていましたね。

万里の長城(中国)
コロッセオ(イタリア)
マチュピチュ(ペルー)
ペトラ遺跡(ヨルダン)
タージマハール(インド)
リオのキリスト像(ブラジル)
チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)

このうち、僕が自分の目で見たのは、長城、コロッセオ、マチュピチュの3つです。清水寺も素晴らしいけれども、さすがにこの3つには負けたかな、というのが正直な感想。

この3つの遺跡に絡んで、過去の旅行で得たウンチクを、つらつらと書こうかと思います。今回はまず、万里の長城。

●壁文化

中国語では都市のことを「城市」といいます。三国志を読んだことのある人などはご存知かと思いますが、中国の「都市」とは、古代より、城壁の中にあるものでした。街全体を城壁で囲い、戦乱時には、一般市民の住む都市全体を、城塞として機能させていたのです。隣国・韓国や、古代・中世のヨーロッパでも、それは同じでした。

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(↑壁は川も越える。居庸関長城。)

近代化とともに、多くの都市ではこの城壁が邪魔者扱いされ、取り除かれました。明代の1402年以降、南京国民政府の時期を除き中国の首都であり続けた北京も、都市全体を囲む長大な城壁がありました。しかし、近代化とともにそれは破壊され、城壁の跡地は環状道路に変わりました。韓国の首都・ソウルも同様の経緯があり、壊された壁の僅かな生き残りが、市場で有名な東大門(トンデムン)です。
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(↑北京の四合院。日付は間違ってます。ホントは2002年9月。)

壁は都市の周りだけではなく、個人の家の周りにもありました。華北地方の伝統的家屋である「四合院」がそれです。日本の家屋は、庭の中に家があります。対して、四合院は、家の中に庭があるのです。外に面した四辺は全て壁や建物で覆われ、さらに門から中庭を覗けないようにするために、外壁の内側にも「影壁」が建てられました。

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(↑泰山の山頂にあった寺。やはり四辺は壁。)

●国を囲う壁

家や都市を几帳面に壁で囲ってしまう中国人にとって、国全体も壁で囲ってしまう、というのは、案外自然な発想だったのかもしれません。そういえば、「国」という漢字も、四辺を壁で囲われた形をしていますよね。

北京近くの観光名所になっている長城は、明代に作られたものを最近になって観光客向けに補修したもので、万里の長城のごくの一部にすぎません。おおもとは、2000年以上前、秦の始皇帝が群雄割拠の時代に各国で築かれていた長城を整理し、北の異民族の侵入を防ぐための、一本の防壁としたのが始まりです。その後も各王朝で拡張・改修がなされ、東は渤海から始まり、ゴビ砂漠の西端まで至る、総延長6000kmの壁になったのです。

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(↑故宮の中は壁だらけ)

国を壁で囲う、というアイデアは、万里の長城だけではなく、古代ローマがイギリスに築いたハドリアヌスの防壁(これが後にイングランドとスコットランドの境界の元になった)や、ドイツのリーメスなどにも見られます。しかし、その規模においては、万里の長城に匹敵するものは世界中どこにも見当たらないでしょう。「世界の七不思議」に数えられることに異議を唱える人は、まずいないと思います。清水寺、申し訳ないけれども、完敗です。

●インターネットを囲う「壁」

万里の長城も風化が進み、街を囲う城壁は環状道路に姿を変え、人も四合院ではなくマンションに住む時代、中国は新しい「万里の長城」をインターネット上に建設しています。

中国語では金盾、英語では”Great Firewall of China” (万里の長城の英名”Great Wall of China”にかけている)と呼ばれるものです。これは、中国にとって「有害な」情報を遮断するために、国家規模で行われているインターネット検閲システムのことです。

たとえば、中国国内で「天安門事件」「ダライ・ラマ」という言葉を検索しても、ヒット件数が非常に少なくなるそうです。WikipediaやBBCのサイトへのアクセスも制限されているとのこと。Googleもこの中国のネット検閲に協力しており、批判を受けています。将来的には、IPアドレスや単語単位での制限のみならず、AI(人工知能)を使った大規模な検閲システムになるとか。こっちの長城は、「世界七脅威」にでも数えられるかもしれませんね。

詳しくはここや、ここを参照してください。

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(↑八達嶺長城。やっぱり日付は間違っています。。。)

●話は戻って

僕が中国を貧乏旅行で回った時は、お金を節約するため、現地で見つけた中国人向けのツアーで万里の長城へ行きました。北京からバスで、長城、明十三陵と、いくつかの観光名所を回る、日帰りツアーです。しかし中国人ツアーは日本のツアーよりも更にせっかちで、長城も一時間くらいしか見せてくれませんでした。しかももちろん全て中国語。遺跡の説明なんて分かるわけもなく。バスの発車時間を聞くので精一杯。いつか、時間をかけて、もう一度リベンジしたい場所です。

僕が中国に行ったのは五年前。まだビザなし渡航が認められていないときでした。貧乏旅行のせいで、人に厄介になりまくった旅だったのですが、みんな非常に親切だったのを覚えています。市場で豚を解体しながら、よく分からない説明を中国語でしてくれたおばちゃん。バスの中で携帯電話を貸してくれたおじちゃん。列車の中で日本人に興味津々だったおじさん集団。コイン集めが趣味のレストランの子供。

真っ黒な排ガスを巻き上げて、大渋滞の道を曲芸のような運転で走る車の数々。その脇に林立する高層ビル。商魂たくましい商人たちの客の奪い合い。ネオンがまぶしい王府井で、足にしがみついてお金をねだった物乞いの少年。僕が見た中国は、このような混沌としたエネルギーに満ち溢れていました。数千年の歴史の中で唯一、日本が中国に対して優位に立てた短い百年も、そろそろ終わるでしょう。古い壁を壊すことで、世界の中華たる地位を取り戻さんと、急成長を続ける中国。一方で、新たな壁を作り、自由・平等・民主主義の価値観に立脚して国を発展させた欧米諸国とは一線を画す立場を取り続ける中国。未来が、楽しみでもあり、怖くもあります。

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(↑泰山の登山道の風景。やー、何度思い返しても、楽しい旅行だった。)

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