エノラ・ゲイ (スミソニアン航空宇宙博物館 下)

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一年以上前に書いた、スミソニアン航空宇宙博物館の記事。「上」だけ書いて、「下」を忘れていたので、改めてここに書こうと思います。

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“Enola Gay”. 何のことか、わかりますか?第二次世界大戦時のアメリカ軍の、とある大佐の母親の名前。また、その大佐が機長を勤めたB-29爆撃機に付けられた名前。そしてそれが、1945年8月6日、その腹の中に原子爆弾 “Little Boy” を抱きかかえ、マリアナ諸島テニアン島から広島へ飛来し、そこへ落とした「小さな坊や」が、街と人を一瞬にして蒸発させた、かの爆撃機です。

この実機が現在、スミソニアン航空宇宙博物館の別館に展示されています。実は、この展示に関して、過去にひと悶着がありました。

1995年、原爆投下50周年を記念し、航空宇宙博物館の本館にて、エノラ・ゲイの頭部が展示されました。その機体の周りには、’The Crossroads: The End of World War II, the Atomic Bomb and the Cold War’と題して、原爆の歴史的考証と、原爆がどう世界を変えたかを記述したパネルが置かれたのですが、その内容に退役軍人団体などがケチを付けたわけです。曰く、「展示は原爆の被害にフォーカスしすぎている。原爆が大戦終結に果たした意義を、もっと強調するべきだ」と。結果、このパネルは取り外され、エノラ・ゲイの機体のみが展示されることになりました。

その後、機体全体が復元され、別館に展示されることになり今に至るのですが、上述の経緯から歴史的考証や被害の記述は一切なく、単に機体が展示されるのみとなりました。

言うまでもなく、日本は原爆を「落とされた」側であり、アメリカは「落とした」側です。視点が違うわけです。それが端的に現れている例として、Wikipediaの日本語版にある写真は、地上から街の被害を写したものが主であるのに対し、英語版の写真は、上空からキノコ雲などを写したものが主です。

「落とした側」からも、原爆に対しては、肯定、否定、様々な議論がありますが、半ば「公式見解」のようになっている、原爆投下を正当化する議論は、おおよそ以下のようなものです。

原爆投下は、戦争の終結を早め、結果的に日米双方の犠牲者を減らした。日本が降伏せず、本土上陸を決行した場合、50万人以上のアメリカ軍将兵と、それ以上の日本人の犠牲が予想された。

しかし、原爆投下が、実際の街と人を使った「実験」の意味もあったのも事実でしょう。まず、原爆の投下に先立ち、ターゲットに選ばれた広島、小倉、長崎への空襲は禁止されました。原爆そのものの威力を正確に計るためです。投下は、効果の確認を可能にするため、晴れた日に限られました。エノラ・ゲイには、原子爆弾の威力の記録を行う科学観測機と写真撮影機も随行していました。さらに、原爆投下に先立ち、風圧等の観測機器を積んだ落下傘を三つ投下しています。

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大小の飛行機がところ狭しと並ぶ暗い別館の中で、エノラ・ゲイは、アルミニウムがむき出しの無機質な機体を、のっそりと横たえていました。60年前の古い機体であるにも関わらず、表面はきれいに磨かれており、窓からの光を反射して、不自然なほどにピカピカと光っていました。

僕は観覧用に作られた歩道橋の上に立ち、その憎き機体を見下ろした時、「静かすぎて気持ち悪い」と感じたのを覚えています。60年前、その不釣合いに大きなエンジンを唸らせて日本まで飛んできて、腹から産み落とした子が地上に地獄を作った。その当の本人が、こんなにも寡黙に、かつ穏やかに博物館の隅で身を横たえている。退役軍人たちや市民団体のように、声を張り上げて、やれ賛成だ、反対だ、とも言わない。ある人からは栄光の象徴とされ、ある人からは憎しみの対象とされながらも、60年間貫き通した、アルミニウムの沈黙。

エノラ・ゲイの、ガラス張りのドームになっている頭部に向かって、「何でお前は黙っているんだ?」と、心の中で問いかけてみても、やはり彼女は黙ったままでした。黙り通すことが、彼女がここに展示されている意義なのだ、と理解することにしました。気持ち悪さを消せぬまま、閉館のベルに背中を押されて博物館を出て、ダウンタウンに戻るバスに乗り込みました。

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