ペルーを旅して

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試験が終わり、一週間ほどペルーへ旅に出た。たったの一週間とは思えないほどの思い出の濃さ。その時間はまさに夢のようで、現在と連続した現実だとはとても思えない。

素晴らしい景色や遺跡巡りが旅の縦糸ならば、その横糸を成すのは行った先々で出会った人々だ。もちろん、旅行客に話しかけてくる現地人の九割は客引きとみやげ物売り。しかし、彼らだって、少し話してみると、子供がいて、友達がいて、若い頃の武勇伝がある。日本のことを聞いてくる人もいれば、自分の国の良さを延々と語る人もいる。

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(↑クスコの中心・アルマス広場の夜景)

クスコはインカ帝国の首都だった街で、標高3400mに位置する。街はさらに高い山々に四方を囲まれ、その斜面には小さな家々がびっしりと並ぶ。スペイン人が街を征服したとき、彼らは街を徹底的に破壊したのだが、あまりにも見事な石の土台だけは残し、その上に教会や家を建てた。 そんな教会のひとつに行く途中。「オニイサン、カッテクダサイ」とカタコトの日本語で話しかけてくる10歳くらいの女の子が。名前はマリア。かわいらしいカメのパペットを1ソル(約40円)で買うと、「ありがとう」と言い、にっこり微笑んだ。彼女はすぐ近くのスタンドにいる母親の元に駆け戻ると、嬉しそうに売り上げを報告した。

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夕暮れ時、街を一望できるという丘に登った。空気が薄く、階段を登るだけで息が上がる。やっと辿りついた丘の上の広場で、5人の子供達がサッカーをしていた。眺めていると、そのうち一人が近寄ってきて、 「アミーゴ、フットボール?」 と誘う。ジャケットを脱いで子供達に混じる。標高3400mでのサッカーは本気で辛い。汗は一滴も出ないのに、少し走っただけで胸が締め付けられるように苦しい。20分ほどボールを蹴った後、抜ける、と言うと、 「Tシャツを買いたいんだ、チップをくれ」 という。ガキのクセにうまいな、と思いつつ、20 soles札を一枚握らせると、喜んで去っていった。

五分後、子供の数が三倍になって戻ってきた。ある子は絵を、ある子は人形を買ってくれ、という。ある子は僕のスペイン語の本を取り、これは日本語でなんというのか、と熱心に質問する。ある子はガイドブックの巻末の世界地図を広げ、中国を指差しながら、「日本はここでしょ?」と聞く。ある子はまたサッカーをしようと言い、ある子は日本のコインがほしい、とせがむ。子供たちに囲まれて坂を下り、アルマス広場へ。僕の家は向こうの山にあるんだ。明日の朝は学校に行くんだよ。夕食は何を食べるの? 最後まで付いてきた三人の子に、スタンドでジュースやお菓子を買い与え、また明日、と言って別れた。

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クスコを後にし、列車でチチカカ湖畔の町、プーノへ向かった。列車は標高4300mの峠を超え、380kmの道のりを10時間かけてゆっくりと進む。 その列車の中で、デイビッドというイギリス人の老紳士と会った。昔、日本に住んでいたことがあって、先立たれた妻も日本人だったという。彼は非常に話好きで、身の上話が止まらない。日本では武田製薬で翻訳の仕事をしていて、取引先に彼の文章を褒められた事があるそうだ。日本からイギリスに帰るとき、船でウラジオストックに渡って、そこからシベリア鉄道で帰ったという。三人の息子のうち二人は日本に住んでいて、自分と同じように日本人の嫁をもらったんだ、と嬉しそうに語った。早く孫を見たいねぇ、という時の顔は、どこの国の老人も同じだ。 腰が折れ、杖につかまって歩く老紳士は、これからボリビア、アルゼンチンを旅し、ブエノス・アイレスから船で南極へ行くそうだ。人生を楽しむとは、こんなことを言うのかな、と思った。

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(↑列車の中での、フォルクロ?レの演奏)

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(↑列車の中のフォルクローレ少年たちと、プーノの酒屋で再会した。酒屋は、歌と踊りが止まらない。)

チチカカ湖には、「トトラ」と呼ばれる葦で出来た人工の浮島があり、その上で生活をしている人々がいる。浮島の民にも二種類いて、一方は漁業で生計を立てて暮らす人々、一方は観光客相手に商売をして生活をしている人々。当然、僕が訪れたのは後者だ。 島民の一人が(もちろん商売を兼ねて)僕を自宅へ招き入れてくれた。六畳ほどの簡素な家は、床も壁も天井も、すべてトトラで出来ている。その半分ほどをベッドが占めていて、ひとつのベットに一家五人が眠るのだという。キッチンは屋外。もちろん、トイレも屋外だ。彼は、トトラ葺きの天井に付いた小さな蛍光灯を自慢げに指差し、 「この電灯は、フジモリ(スペイン語では「フヒモリ」)からのプレゼントなんだ。彼は島に太陽電池を置いてくれた。学校も、病院も作ってくれた。いい大統領だったよ。」 と語った。( 現在は国を追われているフジモリ大統領は、このように貧困層には未だに根強い人気がある。)

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(↑この島全体が、チチカカ湖に浮いている。座って作業しているのが、フヒモリ好きのおじさん。)

こうして旅の中での素晴らしい出会いを想い返すにつけ、思うことがある。もう彼らとは一生会わないのだろうな、ということ。旅はいつも、数え切れない一期一会で満たされている。街を歩き、バスに揺られ、宿を探し、そんな中で五分ごとに訪れる一期一会の数々。そのひとつひとつが、鮮やかな色に染め上げられた横糸となり、僕の旅の縦糸に編みこまれて、強烈な思い出の一部を成す。 こうしてボストンに戻り、僕が日常を過ごしている間にも、おそらくもう二度と会わないであろう彼らは、何千kmも離れたペルーの大地で、彼ら自身の日常を送っているのだ。マリアは旅行客に人形を売り、子供らは広場でサッカーをし、デイビットは南極を目指して旅を続け、浮島の民は淡い蛍光灯の下で家族と団欒しているのだろう。

一枚の布の中で、一本の縦糸は、同じ横糸と二度交わることは決してない。僕がボストンで日常を過ごす限り、決して交差するはずのなかった何本もの糸たちと、一度だけ交わった瞬間。それが今回の旅だ。旅とは、自分の人生の縦糸に、たくさんの横糸を編み込んでゆく作業だと思う。素っ気無い一本の縦糸に、色とりどりの横糸を織り込み、人生を豊かで幅広くするもの、それが旅だ。 学部の頃のように、何週間にもわたる旅をすることは難しくなった。でも、この先も、少しの暇さえあれば、僕はバックパックを背負って旅に出ると思う。世界に60億本もある色とりどりの糸たちを、すこしでも多く自分の縦糸に織り込むために。

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(↑旅行番組っぽい?)

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(↑チチカカ湖の日の出)

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