明日、早朝の飛行機で東京へ向かう。東京-ボストンを往復するのは、これで三度目だ。航空宇宙が専攻のクセに飛行機が怖いのは相変わらずだが、慣れるには慣れた。
初めてボストンに来たのは、去年の三月。既にMITから入学許可はもらっていたが、実際に来るかどうかは、相当に悩んでいた。MITでマスター二年目の友人に会い、その悩みを相談したところ、彼はこう答えた。
「自信があるなら来てみれば?」
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その五ヶ月後、身一つでボストンに乗り込んだ。旅行客としてではなく、留学生として。今から考えると、あの頃の自分は自信に満ち溢れていたと思う。大きなスーツケースを両手に抱え、ローガン空港へ着いたのが夜11時過ぎ。タクシーの運転手にMITへ行ってくれと告げると、「学生か?」と聞かれ、誇らしげに「九月から学生になるんだ」と答えた。疲れているはずなのに、翌朝早くに目が覚めた。気分が高揚していたのだろう。
それから十ヶ月。一瞬だった。辛くて帰りたいと思ったことは一度もなかったが、自信が揺らぐことは何度もあった。「Ph.Dを取った後、何をするのか」と聞かれ、答えに詰まる自分に気付いた。十ヶ月で多くの知識や経験を得たが、同時に失ったものもあった。
それに加え、最近は「焦り」も感じる。日本にいる文系の友達は、既に社会の第一線でバリバリに働いている。理系の友達も多くは就職活動を終え、あと半年余りで社会人。研究の方も、みんなそれぞれ結果を出しているようで、シンガポールの学会に行った、スペインの学会にアクセプトされた、そんな話を聞く。一方の自分は、ようやく四ヵ月前に研究室を見つけたばかりで、論文の一本すら出していない。Ph.Dまであと何年かかるか、分かったものではない。日本の友達よりも明らかに遅れている、そんな焦りを感じる。
東大にまだ籍が残っているので、戻ろうと思えば戻れる。でも、自分はなお、ここで頑張ろうとしている。なぜか。やはりまだ自信があるからだと思う。自分は何か大きなことができると、根拠もなく信じている。自信過剰だろうか?自信過剰で何が悪い。自分を信じることが「自信」だ、自分を信じなくては、どこで、どうやって、やっていけるというのか。
十ヶ月前に比べ、ここ最近、自分はダレ気味だと感じる。まあいい。日本にいる一週間は、思いっきりダレよう。そしてボストンに戻ってきたら、十ヶ月前の気持ちに戻るのだ。ダレている自分にムチを打て。結果を出せ。それを教授に認めさせろ。遅れは取り返せる。余分にかかった時間はより深い経験になる。進め。自信を持て。やれば自分は出来るはずだ。そして、なりたい自分になれるはずだ…。
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今日は早めに研究を切り上げ、家族や友人へのお土産を買いに行った。昔からお土産選びは大の苦手。MITのロゴ入りグッズもいい加減ネタ切れだろうか。冷蔵庫の残り物を処分し、部屋を片付け、荷物をまとめる。パスポート、I-20、日本円。飛行機が落ちないよう、願掛けのお守も忘れてはいけない。時差ぼけを直すために、今晩は寝ないつもりだ。
十ヶ月で角が落ち、すこし丸くなった僕の自信。それに空気を入れ直し、パンパンに膨らませて、一週間後、ボストンに帰って来たい。
後日記(2007/7/2):今思えば、あの頃の「自信」は、根拠のない自信だったように感じる。そんな自信は、持ち続ける方が有害なわけで、去年のあの頃、自信を少し失っていたのは、通るべき道だったのだと思う。
少しずつ実績を重ねていって、「根拠のある自信」を付けていきたい。